弱者支援の二つのドグマ

 ※この記事はサークルクラッシュ同好会会誌『Circle Crash Lovers Association Vol.6』(2017年11月23日発行)に寄稿した「弱者支援の二つのドグマ 序説」を加筆修正したものである。12月12日時点ではほとんど会誌掲載そのままの状態でアップされているが、満足のいく内容ではないため、ある程度の分量になるまで更新していく。

最終更新:2017年12月29日

 

 発達障害、あるいはその他の「治療対象者」――そして精神医学的対象に限らないマイノリティ一般――が抱える問題を解決するための方法論は、一般に特性論(individual characteristics)、適合論(person environment fit)、構築論(constructionism)という三つのそれぞれ異なる指向を持つものに分類することができる*1。問題の原因が個人の特性にあるという前提に基づく対応を特性論的アプローチ、個人の特性と環境の不適合から問題が発生するという前提に基づく対応を適合論的アプローチ、個人の特性を問題視する周囲の認識がそもそも社会構築的なものでしかなく、それらは相対化可能であるという前提に基づく対応を構築論的アプローチという。それぞれについて見ていこう。

 

(1)特性論的アプローチ

 あなたが小学校あるいは中学校で或るクラスの担任をしていたとしよう。そこにはひとり非定型発達らしき児童がおり(Aと名付けておこう)、教師や他の生徒らと頻繁にトラブルを起こしている。例えば、Aは授業を受けることができず、授業中に教室中を歩き回らずにはいられないのだ(注意欠如多動性障害)。また、何度注意しても卑猥語や罵倒語を突然口にする(汚言症)。その他にもAは自閉症スペクトラムに起因する困難を多数抱えている。さて、あなたはこのクラスの問題を解決するために、どのような方法を選択するだろうか。多くの人がまず思いつくのは、おそらく特性論に基づく対応である。問題の原因はA自身の特性にあり、Aの特性を変えることによって問題行動を減らす。Aが立ち上がったり汚い言葉を吐いたりしたときには、然るべき指導もしくはトレーニングによってそれをやめさせる。問題解決を迫られたあなたはそう考えるかもしれない。しかし、障害特性を変えるのはそう簡単なことではないし、本人の意思に反して特性を変えることには相当の苦痛が伴う。ADHDの児童に対する「じっとしていること」の要請は、いかにして正当化されるのだろうか。

 

(2)適合論的アプローチ

 度重なる指導にもかかわらず、やはりAにかんするトラブルがなくなることはなかった。Aの特性を変えることは難しそうだ。であれば、環境を変えてみるのはどうだろうか。トラブルはAと周囲の環境が噛み合わなかったことによって起こっていたのかもしれない。これが適合論に基づく対応である。クラスを再編成する、席順を変える、担任を変える、いっそのことAだけをべつの学級に、もしくは特別支援学級に移動させる、等々。教室や人間関係だけではなく、授業システムを変えることも必要となるだろう。視覚優位の自閉症スペクトラム児にもわかりやすいように図を用いて指示をする、授業プリントをADHDの生徒にも読みやすいようなレイアウトで作成する、といった調子である。しかし、このような環境の調整には限界があり、適合論的アプローチは無制限に行えるものではない。

 

(3)構築論的アプローチ

 そもそも、あなたは「Aの行動のどこが問題なのだろう」と考えたかもしれない。授業中に立ち歩いたからといって他の生徒の学習をそこまで妨げるものでもないだろう。Aは他の児童が使う鉛筆の音に集中を削がれているかもしれない。なぜこの教室でAただひとりの動きだけが問題視されるのか。汚い言葉が出ることのどこが悪いのだろうか。少なくとも私はAの特性にまったく問題を感じない。もしAが少数派であることにトラブルの中心がAであることの根拠を求めるのだとすれば、それはマイノリティ一般の「矯正」を許すことになるだろう。道徳的実在論の立場から、どちらが多数派であるかにかかわらず定言命法的にAのほうを異端視すべきである、と主張することもできる。形而上学的議論は稿を改めて検討するが、私は道徳的実在論を拒否する、ということだけ述べておこう。

 もちろん、A自身がその特性によって卒業後に不利益を被ることも考えられる。未成年であるAの判断能力は充分ではない、ということには多くの人が同意するだろう(この充分性の基準もまた社会構造に依存した作為的なものであることに気をつけなければならない)。よって、判断能力が充分でない者にのみ干渉を認める「弱いパターナリズム」については少なくともその採用が妥当であるように思われる。注意深く見てみると、ここに悪しき循環が潜んでいることがわかる。非定型発達者は治療/支援の対象である、として非定型特性を社会から消し去ることで、発達のスペクトラム上でAの近傍に存在する者はいなくなる。非定型特性のジェノサイドが行われた定型社会において、この先出会うすべての発達障害支援者は「定型社会で生きていけるよう支援する」という方向を向いてAにはたらきかけるだろう。しかし、そもそもAが抱える困難のうちのある部分は、この社会が定型社会であることに依るものであった。つまり、パターナリズムによってパターナリズムが必要な状況が生み出されるのだ*2*3パターナリズムのためのパターナリズム、続く負のスパイラル。その収束点は、非定型特性の絶滅である。これは端的に優生思想ではないか。

 Aの特性を担任も同級生も問題視しなければ、彼はより平和に学校生活を過ごすことができたはずだ。であれば、このように視点を変えることができるのではないだろうか。トラブルの原因はAの特性を問題視することそれ自体にあり、担任と同級生の認識さえ変われば問題は解消される。こうした構築論的アプローチは受け入れがたいものかもしれない。しかし、我々は高校における黒髪強制問題というよい例を知っている。

 

 治療文化(therapeutic culture)とは、精神疾患発達障害を正常からはみ出た状態とし、治療(すべき)対象とするようなイデオロギーのこと。すなわち、構築論を棄却し、特性論に依拠する立場である。治療文化に抗する立場を反治療文化(anti-therapeutic-culture)と呼ぼう。ここで気をつけておかなければならないのは、反治療文化は反精神医学(anti-psychiatry)とは異なる運動である、ということだ。反治療文化は反“治療文化”であって“反治療”文化ではない。反治療文化はけっして医療行為それ自体を否定するものではなく、当人が望む限りにおいて「自分自身で選択した処置」を受けることにまったく干渉しない。反治療文化が批判するのは、選択肢の隠蔽および抑圧である。

 

 信念の耐久性を調べるためのもっともよい方法は、境界事例をいくつも代入することだ。極端な例や現実には起こりそうもない例などの境界事例を挙げると、必ずと言ってよいほど「問いのレベルの適切さ」や「程度問題」などの概念を持ち出して批判する者が出てくる。だが、そのようなアイマイな概念は、結局は面倒な問いを封殺したい怠慢な人間による作為的な設定でしかなく、信頼に足るものではない。我々はこれからいくらでも過激な思考実験を――それが論理的に可能である(そこで構成される文が有意味である)限りは――許すことにする。可能であるが現実にはありそうもない仮定を棄却するということは、「ありそうなこと」と「ありそうもないこと」を分ける境界線を誰かが引く、ということである。この線引きは線を引いた者の知識、その時代のパラダイム、偶然性、その他様々な要素が混入せざるを得ない。これらの深刻かつ致命的な作為性を完全に除去するためには、そもそもそのような境界線を引かないという道を選ぶしかないのだ。

 実験に移ろう。母体に投与すれば子供に発達障害の症状が現れなくなる治療薬が開発された、という未来を考える。出生前診断の技術は進歩し、自閉症スペクトラム児を確実に見つけることができるようになった、そんな時代のこと。あなたは間もなく母親あるいは父親になろうとしている。ここであなたにはふたつの事実が与えられている。生まれてくる子供は自閉症スペクトラムであること、そして、あなたが望むなら出生前治療薬を飲むことができるということ。ちなみに、薬は高価でまだ多くの人が手にできるような状況ではなく、政府主導の出生前ジェノサイドはまだ実現されていない。つまり、あなたは生まれてくる子供の発達を自由に操作することができる、というわけである。どうするだろうか。心を決めたのであれば、あなたの選択を紙に書いてみた後、この実験の「治療薬」を「中絶」に置き換え、あるいは「自閉症スペクトラム」と書かれた部分を「生物学的メス」や「ホモセクシュアル」など他の弱者属性に置き換え、様々な組み合わせで再度同じ実験について考えてみてほしい。

 

 

 さて、次の話題に移ろう。少し前、百万遍交差点で関西クィア映画祭なるイベントを宣伝する立て看板を見た私は、とてつもない絶望感に襲われた。そこに書かれていた謳い文句は、「タイヘン×ヘンタイ」、そして「セックス! セックス! セックス! 特集」というものであった。さらに恐ろしい事実を挙げておこう。関西クィア映画祭の公式サイトには「ことばの説明」なるページがある。そこでは「異性愛中心主義」、「トランスジェンダー」、「シスジェンダー」、「フェミニズム」といった語の解説がなされている。しかし、このページ内のどこを探しても、「エイセクシュアル」という文字列が見当たらないのだ。「ノンセクシュアル」もどこにもない。たしかに私はこの目ではっきりと「テーマは『性』」と書いてある看板を視認したはずなのだが、あれは見間違いだったのだろうか。

 これはけっして重箱の隅をつつくような細かいクレームではない。「クィア○○」を名乗るのであれば、無数にあるそれぞれ違ったセクシュアリティすべてを網羅しておくという非現実的な配慮までは求めないにしても、特定のセクシュアリティを完全に排除するような活動は御法度であろう(そもそもエイセクシュアルはホモセクシュアルヘテロセクシュアルバイセクシュアルと並ぶ一般的な分類だ)。「タイヘン×ヘンタイ」と「セックス! セックス! セックス! 特集」はどちらも明確なエイセクシュアル・ノンセクシュアル排除である。異性愛中心主義に抵抗するマイノリティ団体が性愛中心主義を前面に押し出しているという転倒は、いかにして正当化されるのか。

 

 エイセクシュアルはLGBTのような積極的迫害を受けているわけではなく、セクシュアリティに起因する苦痛の大きさを考慮するとなるべく多くのLGBTに呼びかけることのほうがエイセクシュアルへの配慮よりも優先される。この正当化は功利主義的にはうまくいきそうである。苦痛の大小が比較可能であるならば、なにか測定法が存在しなければならない。どのようなものを採用すればよいのだろうか。

 苦痛を脳の生物学的な反応の大きさによって計測するとしよう。その場合、脳の苦痛を感じる部位を――家畜に対してそうするように――器質的に破壊してしまえば、苦痛指数は低く評価される。であれば、少数者に外科手術を施し続ければ、社会構造を一切変革することなしにマイノリティに関するあらゆる困難が解消される! 我々は社会科学的諸問題の多くを一気に解消する画期的手法を発明した、というわけである。しかしそれでは納得してもらえまい。ありそうな批判は、外科手術によって実現される状態は人間本来の自然な状態とは見做せない、そんなものはルール違反である、というものである。だが、我々は現に飲酒や喫煙等で脳の状態を調整することによって苦痛を和らげるという行為を日常的に行っている。病院では麻酔を使用し、健康のためにサプリメントを摂取する。美容整形が深刻な道徳的問題を孕むと考えられるような時代は(少なくとも私の観測範囲では)すでに終わっている。我々の日常生活の延長線上に――スピリチュアルな抵抗感の壁一枚を隔てて――脳の外科手術という経済的な解決法が存在する。その上、この方法であれば(術後はもはや苦痛を感じなくなるので)本人にアイデンティティの喪失という負担をかけることなく問題が消し去られる。もっと慎重に、手術を出産直後に行ってしまえば、もはや本人が自己の特性を改変されたと気づくことはできない。その特性を起因とする苦痛に苦しむあらゆるマイノリティはジェノサイドされる。これもやはり優生学に行きつく。性質ごとの苦痛量の比較ではなく、苦痛を感じる人数の比較をすればよいのではないか。エイセクシュアルと性愛中心主義者であれば、後者のほうが圧倒的に多い。だから幸福の総量を上げるためにはときにエイセクシュアルを無視することも必要である。しかし、それはあらゆるマイノリティが闘ってきた敵そのものである。

 それはたんに自分自身と友人が生きていくための運動だ、と言うのならばよいだろう。だが、もしもその活動になんらかの大義があると思っているのならば、一度よく考えてみたほうがいい。

 

 

 整理しよう。我々は弱者支援における二つのドグマを確認した。ひとつは、ある「正常」という基準が存在して、支援対象者はそこから外れた人々だ、というもの。ここから、治療文化に見られるような善意のジェノサイドが発生する。もうひとつは、ある弱者を支援するために他の弱者が排除されることはやむを得ない、というもの。それはあらゆるマイノリティが闘ってきた社会構造の再生産でしかない。

 この二つのドグマを自覚することなしに行われる弱者支援がそう遠くない未来に悲劇的な結果を生むことは想像に難くない。(マイノリティ特性が消し去られた未来を悲劇と感じるような人間は、そのときにはもういない!)

 いささか雑なまとめになってしまったが、問題提起としては充分な内容が確保できたと思われる。読者諸氏によってさらに発展的な議論が行われることを期待して、ここで本稿を終えよう。

*1:これらの概念は岡田有司「発達障害生徒における学校不適応の理解と対応―特性論,適合論,構築論の視点から」(2015) から借用している。

*2:そもそも、定型社会において非定型発達者は必ず“不幸である”、という前提は正しいのだろうか。ダウン症についてはこの前提に沿わないデータが存在する。2016年に行われた12歳以上のダウン症者852人を対象とした厚生労働省のアンケートによると、「毎日幸せに思うことが多い」に「はい」あるいは「ほとんどそう」と答えた人は91.8%にのぼった。

*3:私には、自閉症スペクトラムADHDうつ病の診断がおりている。本稿が書かれた2017年時点で、私は京都大学の大学院で数学の研究をしている。つまり、少なくともいまのところは、それに適した環境で好きなことをして生きている、というわけだ。自閉症者は特定のものごとに強い関心を向けるという特徴を持つ。ADHD特有の衝動性によって突拍子もないアイデアが生まれ、新規性のある研究結果が得られることもある。うつ病の患者はうつ病的リアリズム(depressive realism)と呼ばれる傾向を持ち、できごとの間の因果関係や自分の能力を、うつ病でない人よりも正確に認識することができる。これらの障害特性は、私の人生によい結果をもたらしている。

『問題のある子』執筆者募集

 2018年1月21日(日)の第二回文学フリマ京都での頒布を目標に、青本舎からインターネット大倫理文学第2巻『問題のある子』を発行します。印刷まであまり期間はありませんが(本当に申し訳ない)、なにか載せたいという方はご連絡ください。小説、詩、短歌、イラスト、漫画、学術論文、批評、なんでもOKですが、ある程度のページ数を確保できるものであると嬉しいです。また、可能であればタイトルに合わせて「学校的なもの」「学級崩壊」などの要素を入れていただけるとありがたいです。既に知っている人、過去に同じ誌に参加した人、顔見知りなどを想定していますが、僕の知らない人で載せたいものがある場合はご相談ください。2018年にはインターネット大倫理文学第3巻の発行も予定しておりますので、決定稿が今年中に上がらなかった場合はそちらへの掲載となりますことをご了承ください。

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※表紙は仮のものなので変更するかもしれません

展覧会「おまーじゅじゅじゅ」及び第五回文学フリマ大阪にて『グッバイグーグルアイ』販売

 8月31日(木)~9月3日(日)に新世界のギャラリー1616で開催される展覧会「おまーじゅじゅじゅ!お前と12人のSUMMER」にて、文芸サークル青本舎から発行される記念すべき1冊目『グッバイグーグルアイ』を物販コーナーに置く予定です。こちらは印刷の状況などにより変更となる場合があります。僕の絵も2枚展示されるのでぜひ寄ってってください。

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 また、9月18日(月)の第五回文学フリマ大阪青本舎ブース(D-53)でも『グッバイグーグルアイ』を頒布します。その他にもサークルクラッシュ同好会会誌Vol.5.5なども委託販売します。

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 本誌の奥付には「インターネット大倫理文学 第1巻」と書かれています。当然、第2巻も第3巻も発行します。第2巻は2018年1月21日(日)に開催される第二回文学フリマ京都でのお披露目を目標として制作中です。もうしばらくお待ちください。

 

グッバイグーグルアイ コンテンツ一覧

小説

・国境線上の男 複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)

・光の空降るエンドロール 四流色夜空(@yorui_yozora)

短歌

・飛縁魔 寺村たこ(@tacolinus2)

・アングラ・ピープル・サマー・ホリデイ かみしの(@KamisinOkkk)

・静かな生活 リスカちゃん(@honenoumi)

mind map

夢日記 宇田川(@ijafad)

 

表紙 複素 数太郎

裏表紙 しずまうに(@CZ6Au2)

「ポール・ド・マン論争」論争にかんするメモ

 発端は借金玉(@syakkin_dama)氏の以下のツイートである。

好きなデリダですが、ポール・ド・マンが昔コソっとナチってたのが死後バレてシバいていく方針になったときに「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」ってキレて「おまえの理屈で考えてそれ無理筋だろ」って怒られたデリダです。

 

「まー、長い人生ナチってしまうこともあるよ。それはともかくあいつええもん書いてるだろ」くらいの穏当な反論をすればよかったんだけど、「あれはそういう意味じゃないんだ!」っていったので、ここぞとばかりにシバかれた。何せ、発話の意味を一意に定義するってのはデリダの思想とは相性悪い。

 「デリダがそんなこと言うか?」と思ったのと、以前高橋哲哉デリダ』でまったく違う解説を見た記憶があったのとが僕のソーカル魂を呼び起こしたので検証することにした。デリダポール・ド・マン論争に言及したテクストは J. Derrida, Like the Sound of the Sea Deep within a Shell: Paul de Man's War, Critical Inquiry, Vol.14, No.3, (1988), 590-652. くらいしか知らないので、こいつを読めばいいのだと思う。申し訳ないがフランス語は苦手*1なので Peggy Kamuf 訳を参照することを許してほしい。この記事で挙げられるテクストはすべて和訳あるいは英訳のみの確認にとどまっている。

 まず、高橋哲哉氏の解説を見ておこう。少し長いが、引用する。注は引用者によるもの。

ポール・ド・マン論争は、同年*2一二月、今度はアメリカではじまった。脱構築批評の第一人者ポール・ド・マンが、一九四一年から四二年にかけて、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで親ナチの新聞に寄稿していたこと、記事の一つ*3は明らかに反ユダヤ主義的主張を盛っていることが、ベルギー人研究者の調査で判明し、『ニューヨーク・タイムズ』の一面記事で報道されたのである。ド・マンはすでに八三年に死去し、デリダはやがて『記憶=回想――ポール・ド・マンのために』(一九八八)に収められることになる追悼講演や講義をしていた。「アンチ脱構築の役人たち」にとっては、千載一遇のチャンス到来である。ハイデガーのケースと同じく、「下手人」の亡霊を悪魔祓いしようとする攻撃が開始され、若きド・マンのナチ協力と渡米後の沈黙が、脱構築の倫理的不健全さと政治的いかがわしさの疑う余地なき証拠とされた。ナチ=ド・マン=デリダの連想の成立である。これに対してデリダは、覇権下でのヨーロッパ新秩序、フラマン・ナショナリズムといった全体主義的諸要素も広範に見られることを基本的に承認し、「苦痛に満ちた驚き」を味わったとしながらも、ド・マンのテクストはけっして単純に等質的ではなく、そこには右*4の諸要素をみずから裏切るような諸契機も同様に存在する、と主張する。そして、その後のド・マンが完全に手を切った二〇歳台はじめの過ちを理由に、ド・マンの業績全体と脱構築をも葬り去ろうとすることは断じて容認できない、と応じたのである。

 ド・マンの記事を読んでいないのであまり踏み込んだことは言えないが、しかしこれが本当ならデリダの主張としてまったく違和感なく読むことができる。なんらかのルートでデリダに触れたことのある方々は「(少なくとも形式的には)一定の譲歩をしつつも、そこにはべつの可能性がつねにつきまとうということを示す」というやり方を何度か見た覚えがあるだろう。デリダは自分の哲学的手法の厄介さを自覚していた。その態度は例えば彼の著作 Histoire du mensonge: Prolégomènes の終盤などでうかがい知ることができる。だからデリダが先のツイートのような形で雑に自分の言説に絡めとられるという状況があまり想像できないのだ。

 借金玉氏が根拠としているテクストはエヴァンズの In Defence of History である。エヴァンズによる論争の紹介はまだ確認していない*5が、塩川伸明氏のサイト*6にまとめられているようなので、ここを参照してほしい。

 

 さて、デリダが「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」と言ったのかを見てみよう。当該誌のp.600及びp.601から引用する。

 My feelings were first of all that of a wound, a stupor, and a sadness that I want neither to dissimulate nor exhibit. They have not altogether gone away since, even if they are joined now by others, which I will talk about as well. To begin, a few words about what I thought I was able to identify at first glance but a glance that right away gave me to see, as one should always suspect, that a single glance will never suffice―nor even a brief series of glances.

 ド・マンの“反ユダヤ的”記事を読み、デリダは深く傷ついたという。そして、その気持ちは今でも完全には去っていない。ド・マンの記事に悪い部分があることを認めたという点では高橋氏の説明と一致する。しかしここでデリダは「怪しむべき」と留保しているから、早まらずに注意して読み進めなければならない。なぜ傷ついたのか。彼は3つの理由を挙げる。

 A painful surprise, yes, of course, for three reasons at least: (1) some of these articles or certain phrases in them seemed to manifest, in a certain way, an alliance with what has always been for me the very worst; (2) for almost twenty years, I had never had the least reason to suspect my friend could be the author of such articles (I will come back again to this fact); (3) I had read, a short while earlier, the only text that was accessible to me up until then and that was written and signed by Paul de Man in Belgium during the war. Thomas Keenan, a young researcher and a friend from Yale who was preparing, among other things, a bibliography of de Man, had in fact communicated to me, as soon as he had found it in Belgium, the table of contents and the editorial of an issue from the fourth volume of a Brussels journal in which de Man had published his first writings. He had been a member of the editorial committee, then director of this journal, Les Cahiers du Libre Examen, Revue du cercle d'étude de l'Université Libre de Bruxelles, founded in 1937. Now, what did this editorial say in February 1940, at the point at which de Man had just taken over the editorship, in the middle of the war but right before the defeat? Without equivocation, it took sides against Germany and for democracy, for "the victory of the democracies" in a war defined as a "struggle ... against barbarity." This journal, moreover, had always presented itself as "democratic, anticlerical, antidogmatic, and antifascist." Here then are three reasons to be surprised by the texts dating from the following year and that I discovered with consternation.

 ひとつ目の理由。この記事にはいつもデリダにとって最悪だったものとの同盟関係が現れているらしいこと。すなわち全体主義である。ふたつめの理由。デリダはド・マンがこのような記事を書くなどと疑ったこともないこと。そして、ド・マンが問題の記事を書くほんの少し前に「民主主義に賛成する」テクストを発表していたこと。

 But I said that right away I had to complicate and differentiate things, as I will have to do regularly. My surprise did not come all at once. Even as I reassured myself ("good, during his Belgian youth that I know nothing about, Paul was, in any case, on the 'right side' during the war!"), what I had quickly read of this editorial left me with an uneasy feeling and an aftertaste. In passing, but in a clearly thematic fashion, I was able to identify their source. And here we approach the heart of the problems we have to talk about. They are not only Paul de Man's problems, but those of the equivocal structure of all the politico-philosophical discourses at play in this story, the discourses from all sides. Today, yesterday, and tomorrow―let the dispensers of justice not forget that!

 right side は「正しい側」と「右側」をかけた言葉遊びだ。デリダはド・マンの記事から自らが読み取ったものに不安を感じた。彼は不安の出所が「我々が話題にしなければならない諸問題」であることを突き止めたという。その諸問題はド・マンだけではなく、この物語のなかを浮遊しているすべての政治的、そして哲学的論説――あらゆる側からの論説――の両(複)義的な構造の問題である。

 以降、デリダはド・マンのテクストから「上の諸要素をみずから裏切るような諸契機」を抽出していく。ここで問題となるのは、借金玉氏が言うようにデリダがド・マンの記事の「意味を一意に定義」しているか否かである。ド・マンの記事を読んでデリダが感じた気持ちが「今でも完全には去っていない」こと、そしてデリダがあくまでも equivocal と表現していることが解答であると言ってしまっても良さそうだが、もう少し本文を拾っておこう。p.631から引用する。

 Through the indelible wound, one must still analyze and seek to understand. Any concession would betray, besides a complacent indulgence and a lack of rigor, an infinitely culpable thoughtlessness with regard to past, present, or future victims of discourses that at least resembled this one. I have said why I am not speaking here as ajudge, witness, prosecutor, or defender in some trial of Paul de Man. One will say: but you are constantly delivering judgments, you are evaluating, you did so just now. Indeed, and therefore I did not say that I would not do so at all. I said that in analyzing, judging, evaluating this or that discourse, this or that effect of these old fragments, I refused to extend these gestures to a general judgment, with no possibility of appeal, of Paul de Man, of the totality of what he was, thought, wrote, taught, and so forth.

 デリダは「ド・マンの裁判において私は判事や証人、検察あるいは弁護人として語っているのではない」という。しかし「お前は絶えず判決を、そして価値判断を下している」と言う者もいるだろう。デリダはこう弁明する。「そのようなことをまったくしないつもりだとは言っていない。こう言ったのだ。この論説やあの論説、これらの過去の断片のこの効果やあの効果、そういったものの分析・判決・価値判断において、ド・マンが存在したり、考えたり、書いたり、教えたり等々の全体によって上訴する可能性がもうないゆえに、私はこうした身ぶりを一般的な判断に拡張することを拒んだ」。彼はド・マンの記事の「意味を一意に定義」することを明確に拒否している。

 

 かくして、僕たちのデリダ裁判はひとつの判決を出した。僕は判事や証人、検察あるいは弁護人として語ることを拒むつもりはない。だが、どのような批判にせよ、すでにデリダが上訴する可能性がもうないゆえに、この態度は――少なくともデリダの目には――誠実さに欠けているように見えるかもしれない。

*1:学部時代唯一単位を落としたのがフランス語である。起床が無理だった。

*2:1987年。この年にはハイデガーとナチズムの関係が問題とされた「ハイデガー論争」も勃発した。両論争において、ハイデガーデリダデリダとド・マンを繋ぐ「脱構築」概念はほとんど言いがかりのような批判を浴びた。

*3:ユダヤ的とされる記事がひとつだけであることはエヴァンズの紹介からもわかる。ただし要検証。

*4:横書きなので、ここでは上。

*5:夏休み中なので大学図書館に寄る機会がない。大阪市内の図書館に一冊存在するらしいので、借り次第追記する。しかし、借金玉氏のエヴァンズと実際のエヴァンズが一致しているかどうかはここではさほど重要でない。

*6:http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/deman.htm

『青色本』読書会レジュメ①

※ページ数はちくま学芸文庫版に対応

 

p.7-8

 Wittgensteinは「語の意味とは何か」という問題に迫るために,まず「語の意味の説明とは何か」を検討すると宣言する.なぜこのような回りくどいことをするのだろうか.Wittgensteinが指摘するように,我々は「名詞があればそれに対応する何かのものを見付けねばこまるという考え」に囚われがちである.例えば,「Aは存在する」という命題(Aは神や他者などの任意の形而上学的対象)を検討するとき,我々はついつい「存在する」という(ここではあまりにもアクロバティックに用いられている)語の意味がこの命題の中ですでに確定されていると考えるか,あるいは「存在する」という語の“本当の意味”がまだわかっていないからこの命題の真偽がわからないのだ,などと考えてしまう.「語の意味」の問題に接近するときにほとんど避けることのできないこれらの混乱を回避するため,Wittgensteinは「語の意味の説明」から間接的に(後にわかるが,じつは直接的に)「語の意味」らしきものを引き出す,という方針を採る.

 

p.8-11

 「語の意味の説明」は,大まかには言葉による定義(翻訳定義)と直示定義(指差し定義)のふたつに分けられるように見える.前者は辞書のようにある未知の表現を別の既知の表現に置き換えることによる説明であるが,直接こちらについて調べても所望の解答は得られなさそうだ.対して,あるものを指差し等で端的に「これ」と指し示すことで意味を与える直示定義のほうは,我々に「語の意味」にかんする知識を与えてくれそうだ.

 しかし,直示定義にはすぐに思い浮かぶ難点がふたつある.ひとつは,「数」「1」「でない」などを直示定義することは難しそうである,ということ.もうひとつは,直示定義は誤解されうる,ということだ.どういうことか.緑色の鉛筆を手に持って「これは鉛筆だ」と説明するときのことを考えてみよう.もし私が「鉛筆」という語をすでに知っているのでなければ,私はこの直示定義を見て,「鉛筆」という語を「緑色」「一本」「木でできている」「固い」「先が尖っている」のように使うかもしれない.

 Wittgensteinはもっとわかりやすい別の例も挙げている.「バンジョー」という語が何を指すのか,知らない人は多いだろう.私がある楽器――音を出す部分は金属と動物の皮,握り手は木で作られていて,そこに5本の弦が張られている――を両手にひとつずつ持って「これはバンジョーだ」と言うとする.その後,私はそれを聞いていたある男に「バンジョーを取ってきてくれ」と頼む.彼は別の弦楽器を持ってくるかもしれないし,もしかしたらふたつのバンジョーを持ってくるかもしれない.ここで注意しなければならないのは,「彼は『バンジョー』に『弦楽器』という解釈を与えた」と言うとき,彼が何かを持ってくる行為とは別に,それとは独立した「解釈する」という行為を想定すべきではない,ということだ.なぜか.それは次の例から類推することができる.

 

p.11-14

 ある人に「赤い花を取ってこい」と命じる.彼はどんな色の花を持ってくればいいのか理解し,「赤い花」を持ってくるだろう.なぜこのようなことができるのだろうか.命令を受けたとき,彼の頭の中に「赤いイメージ」が浮かび,そのイメージといくつかの花を比べ,一致する色のものを取ってくる.素朴にはそう考えられる.しかし,この心的な「赤いイメージ」が「赤い紙」に置き換えられたとしても問題はない.

 ここで彼は(命令を実行するに先立ち)「赤い」という語の「解釈」をしているのだろうか.たんなる記号としての「赤い」とは独立した“「赤い」という語の意味を理解するという心的過程”は,「赤いイメージ」を「赤い紙」に置き換えることで,それが(我々の素朴な言語観に反して)言語の働きにとって本質的ではないということが明らかとなる.

 

p.15-16

 Wittgensteinによると,数学における形式主義に対するFregeの考えは次のように表現できる:数学の命題がもしダッシュ記号の組み合わせ[1]に過ぎないのなら,それらは死んだもので何の興味もない,しかしそれは明らかに一種の生命を持っている.

 数学に限らず,どんな命題[2]でも同じことが言えるだろう.死んだ記号を生きた記号にするためには,たんなる記号とは違った,非物質的ななにかが必要となる.しかし,それが「記号の意味」ではないことは「赤い紙」の例からわかる.心的イメージは肉眼で見られる外的対象に置き換えられるからだ.では記号の生命とはなんなのだろうか.それは記号の使用(use)である.このことは,『青色本』で挙げられる豊富な例を見ることによって徐々に明らかとなっていく.

 

p.17-18

 思考にその独特な性格を与えるのは,「心的状態」のような神秘的なものであるように思える.我々がそう考えてしまいがちなのは,思考が「心」という媒体の中でしか起こらないからだろう.例えば,アメーバが同じような細胞に分裂し,その各々が成長してまた元の細胞と同じようにふるまうのを見たとき,我々はアメーバが奇妙な性質を持つのだと考える.その他にこのようなふるまいを見せる物理的機構を見たことがないため,「アメーバの機構は他とまったく違うものなのだろう」と推測するのである.「心」についての思い込みは,この状況と似ているように見える.

 しかし,この類比にはふたつの――「思考は一連の心的過程である」という,そして「思考は心という媒体の中で起こる」という――誤りが含まれている.「思考」が奇妙に見えるのは,その働きがまだ科学的に説明できないということによるのではない.

 

p.18-19

 心理学的研究によって心の働きを説明するモデルを構成したとする.物理学におけるエーテルの理論が物理学的現象を(因果的に)説明する[3]のと同じく,この心モデルも観察可能な精神活動を説明する(そしてそのためにはひどく複雑で込み入ったものでなければならない).このモデルが複雑であることを以て「心は奇妙な種類の媒体だ」と考えたとしても,それは自然科学の問題でしかない.

 我々の興味の対象は言語の働きと心的作用とのあいだの因果的なつながりではない,ということがわかった.であれば,心の働きはすでに我々の前にあけっぴろげになっているはずだ.我々が思考の本性についての困難がその媒体(すなわち心)の本性の困難さに起因するものだと勘違いしてしまう原因は,言語を神秘的に(アクロバティックに)使うことにある.例えば「時間」について考えるとき,そこになにかまだ見えない新事実があるのではないかという観念に囚われてしまいがちであるが,そんなものがあるわけではない.問題となり得る事実はすべて目の前であけっぴろげになっているにもかかわらず,「時間」という語の神秘的な使用が我々を惑わせるのだ.

 

[1] 黒崎訳では「たんに複雑に書かれたもの」と訳されている.

[2] 真か偽かが定まる文のこと.

[3] 物理学の発展によってエーテルによる物理現象の説明が“間違った”ものであったことがわかった,という事実にも注目しなければならない!

あとは任せたぜスイッチ

 小学四年生のとき、家の前で知らないおじさんから「あとは任せたぜスイッチ」をもらった。それは当時の僕の手のひらにちょうどよく収まる大きさの機械だった。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、君じゃない君に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったら、「あとは任せたぜスイッチ」を押すといい。ちょうど十分後に作動して、君を楽にしてくれる。おじさんは僕にそう教えると、緑色の煙になって、ポワンと消えてしまった。おじさんが消えたあと、好奇心に負けてすぐに「あとは任せたぜスイッチ」を押したが、なにも起きなかった。なあんだ、つまんないな、と思いながら、僕はそのきれいなつや消しブルーの機械を本棚に飾っておくことにした。

 つぎに「あとは任せたぜスイッチ」を押したのは中学三年生のときだった。公立高校の入学試験を二日後に控えた僕は、冗談半分ですっかり埃をかぶった「あとは任せたぜスイッチ」を押してみた。でもやっぱり、なにも起きなかった。僕は五年前と同じようにがっかりして、ウェットティッシュで「あとは任せたぜスイッチ」を清潔な状態にし、もとあった場所へと置いた。

 

 高校受験はあっけなく終わり、僕は家からいちばん近い第一志望の高校に入ることができた。僕は「あとは任せたぜスイッチ」のことなど忘れ、はじめてできた恋人(名前は“やわらかい長方形”という)と、そこそこしあわせな日々を送っていた。

 やわらかい長方形は僕よりも勉強ができた。かばんにはいつも難しい本を何冊か入れていたし、難しい言葉を使わないと会話をすることができないらしかった。やわらかい長方形の話すことはほとんどなにもわからなかったが、僕は彼女の話を聞くのが好きだった。やわらかい長方形には少々情緒不安定なところがあった。僕はやわらかい長方形のことを深く深く愛していたので、そんなことは些細な問題だった。僕たちはうまくやっていた。うまくやっていた。うまくやっていた。

 

 高二の春、やわらかい長方形がよく僕を怒鳴りつけるようになった。やわらかい長方形が難しい言葉ばかり使って怒るので、正確にはよくわからないのだが、どうやら僕が他の女の子と浮気をしているのではないか、と疑っているらしい。もちろん、そんなことはしていない。していない。していない。

 高二の夏、本棚を整理しているとき、肘でうっかり「あとは任せたぜスイッチ」を押してしまった。なにも起きなかった。

 高二の冬、僕は本当に浮気をしてしまった。それは仕方のないことだった。断る方法を知らなかったのだ。弾力のある三角形はいい子だ。だから、弾力のある三角形を悲しませたくなかった。やわらかい長方形にはすぐにばれてしまった。僕は彼女の家に行き、「ごめんなさい」とちょうど千回言って、帰った。やわらかい長方形は泣いていた。もう、やわらかい長方形を泣かせるようなことをするのはやめよう、と思った。弾力のある三角形はそれ以来、僕と会話をしてくれなくなった。目も合わせてくれない。

 高三の春、僕とやわらかい長方形は、放課後の渡り廊下で大喧嘩をした。たまたま近くにいた友達が仲裁をしてくれて、その場はなんとか収まった。その友達は僕を慰めるためにブラックの缶コーヒーをくれた。コーヒーは嫌いだったが、とてもそんなことを言える状況ではなかった。彼は僕を慰めようとしてくれている。いろいろな言葉を、じっくりと考えて、僕にかけてくれる。僕はそのまずい液体を飲み干すのに必死で、なにも聞いていなかった。彼がいなくなると、すぐトイレに駆け込み、嘔吐した。それまでの人生でいちばんの罪悪感が僕を襲った。でも、仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。

 高三の夏、眠ることができなくなったので、インターネットで調べた情報をもとに、薬局で睡眠導入剤を買った。小さな白い錠剤で、口に含むとほんのり甘い味がした。その薬を「天使」と呼ぶことにした。僕は一週間に五回、「天使」を四錠飲んだ。「天使」は少しのあいだ、僕を救済してくれた。

 高三の秋、精神科でよくわからない肩書きをもらった。僕はそのことを誰にも言わないことにした。「天使」はだんだんと効かなくなってきていた。それでも僕は処方された薬を飲まなかった。それらは「天使」のようには甘くなかったからだ。やわらかい長方形と会う時間も体力もどんどんなくなっていった。やわらかい長方形は、毎日十通はメールをするように、と僕に命じた。僕は毎日六通から八通のメールを送った。もちろん、少なすぎると怒られた。僕にはどうすることもできなかった。メール十通ぶんの文章を考えると、僕の貧弱な頭は確実にパンクしてしまうだろう。

 

 やわらかい長方形は、大学入試にすべて落ちてしまった。たぶん、僕のせいだ。僕がきちがいだから、やわらかい長方形は勉強に集中できなかったんだ。僕は滑り止めで受けた私立大学に入ることになった。「天使」はもう完全に効かなくなっていた。

 大学一年目の冬、やわらかい長方形は受話器の向こうでずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。お前が悪いんだ、お前のせいで自分の人生は滅茶苦茶だ、そんなことを言っていたのだと思う。僕は頭が悪いから、難しい言葉ばかり使うやわらかい長方形の言うことがほとんどなにもわからなかった。でも、僕が悪いということだけは、はっきりとわかった。

  僕は「あとは任せたぜスイッチ」を押した。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、僕じゃない僕に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったから、「あとは任せたぜスイッチ」を押した。それはすごく自然なことだ。五秒、六秒、七秒、僕は右耳でやわらかい長方形の悲しい叫びを聞きながら、一秒一秒、ていねいに時間を数えた。

 

 四十秒、四十一秒…………一分………………

 

 

 

 

 

 

 五分………………

 

 

 

 八分三十秒…………八分四十秒…………九分……

 

 

 

 九分五十五秒。

 

 ――じゃあ、あとは任せたぜ。僕じゃない僕。君には、どうかここをうまく切り抜けて、しあわせに暮らしていってほしい! ああ、それともうひとつ。これだけは守ってくれ。やわらかい長方形には、絶対に、絶対に悲し

力学系メモ

 時間 {\displaystyle t} に依存しない函数 {\displaystyle f:\mathbb{R}^{n}⊃W→\mathbb{R}^{n}} を用いて微分方程式 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=f(x)} で表される力学系を自励系という。 {\displaystyle x'=f(x,t)} で表される力学系を非自励系という。ここでは自励系について考える。

 {\displaystyle f( \bar{x} )=0} なる点 {\displaystyle \bar{x}} を平衡点という。微分方程式の解の一意性より、平衡点を通る解は定数函数のみである。
 微分写像ヤコビアンを同一視し、同じ記号で表す。 {\displaystyle x} における微分写像{\displaystyle df_x} と書くことにする。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} における微分写像 {\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で平衡点を分類しよう。固有値の実部がすべてノンゼロであるとき、その平衡点は双曲型であるという。固有値の実部がすべてゼロ、すなわち固有値がすべて純虚数のとき、その平衡点は楕円型であるという。さらに、双曲型平衡点を次の3つに分類する。固有値の実部がすべて負のとき沈点、すべて正のとき湧点(源点)、正のものと負のものが混じっているとき鞍点という。
 沈点の近くの解は指数函数的に沈点に近づく。すなわち、{\displaystyle λ<0} をすべての固有値の実部より小さな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≦Me^{tλ}||x-\bar{x}|| }
が成り立つ。 {\displaystyle φ_{t}(x)}力学系の流れである。
 逆に、湧点の近くの解は指数函数的に湧点から遠ざかる。すなわち、{\displaystyle λ>0} をすべての固有値の実部より大きな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≧Me^{tλ}||x-\bar{x}||}
が成り立つ。

 次に、Lyapunovの意味での安定性を定義する。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、任意の近傍 {\displaystyle N(\bar{x})⊂W} に対し、適当に {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})⊂N(\bar{x})} をとると、そこから出る任意の解 {\displaystyle x(t)}{\displaystyle t≧0} について定義され、{\displaystyle N(\bar{x})} 内に留まることをいう。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205173902p:plain
 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が漸近安定であるとは、それが安定であって、{\displaystyle t→\infty }{\displaystyle x(t)→\bar{x}} となるように {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})} がとれることをいう。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205174517p:plain
 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、それが安定でないことを意味する。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205174034p:plain
 図で{\displaystyle N(\bar{x})} とすべきところを {\displaystyle N(x)} と書いていることに注意。修正するのめんどくさい。

 明らかに沈点は漸近安定であり、湧点は不安定である。次の不安定性定理より、鞍点は不安定であることがわかる。
(不安定性定理){\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で実部が正のものがあれば不安定。
 従って、双曲型平衡点で安定かつ漸近安定でないものは存在しない。楕円型平衡点には安定かつ漸近安定でないものが存在する。例えば、2次正方行列 {\displaystyle A} で定まる力学系 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=Ax} について、{\displaystyle A}固有値が純虚数であるとき原点は楕円型平衡点であり、原点まわりの解は下の図のように流れている。
f:id:fukuso_sutaro:20170205175605p:plain

 沈点の近くの解に対し、差のノルム {\displaystyle ||x(t)-\bar{x}||} は減少函数として見ることができた。もっと一般的に、Lyapunov函数を構成することで平衡点の安定性を判定することができる。連続函数 {\displaystyle V:N(\bar{x})→\mathbb{R}}{\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}}微分可能であるとする。 {\displaystyle V} が次のふたつを満たすとき、 {\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数という。
{\displaystyle (i)} {\displaystyle V(\bar{x})=0}{\displaystyle x \neq \bar{x}} に対し {\displaystyle V(x)>0}
{\displaystyle (ii)} {\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}} 上で {\displaystyle dV_{x}(f(x))≦0}
 また、 {\displaystyle (ii)} の不等式がイコールを含まないとき、狭義Lyapunov函数という。
 例えば、3次元力学系 {\displaystyle (\frac{dx}{dt},\frac{dy}{dt},\frac{dz}{dt})=(2y(z-2),-x(z-1),xy)} の原点におけるLyapunov函数{\displaystyle V(x,y,z) = x^2 + 4y^2 + 2z^2} で与えられる。ちなみにこの平衡点は安定だが漸近安定ではない。
 Lyapunov函数が構成できれば、次のLyapunovの安定性定理によって平衡点の安定性が判定できる。
Lyapunovの安定性定理){\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数が存在すれば {\displaystyle \bar{x}} は安定。また、狭義Lyapunov函数が存在すれば漸近安定。