疲労困憊

まだ知能の低い人々が騒いでいるのがたまに視界に入ってきて不快なので愚痴でも書いておこう。多くの人が知っている通り、僕(と数名)はメンヘラ.jpというサイトに対して「差別的表現の含まれるページがある」(そして運営者の個人的発言にもその差別的意識が表れている)という批判を投げていた。サイト運営者が批判者に対してデマをばら撒いて中傷するなどの悪質な行為で対応したため、問題はかなり大きくなった。しばらくしてその表現は改善されたのだが、日本語の文章を理解することのできない大勢の馬鹿が僕たちの批判に対して「ではメンヘラ.jpに障害者が好き勝手に書いた危険な記事を載せろというのか」などとトンチンカンなことを言って粘着してきたのだ。メンヘラ.jpは事業でやっているのだからそんな危険なことはできないだとか、僕の話とはまったく関連性のない主張を投げつけてきて、彼らは気持ちよくなってどこかへ行った。実際に(比較的)差別的でない表現に差し替えられたのだから何が「できない」のかまったくわからない(現にできているではないか!)のだが、どうにも彼らにとってはあまりにも難しすぎる話だったらしい。そのことは https://nugum.net/introduction でも解説されている。そもそも差別的であるという批判が不当であるなどと言う愚か者もいたが、そうであればメンヘラ.jpが差別的であると(鍵アカウントで、だが)名指しで批判する精神科医が存在することはどのようにして説明されるのだろう。僕はその医師の講義を受けていたのだが。

とにかく、僕はもう文章を読むことのできない人々を相手することに疲れ切ってしまった。おそらくもうこの話題には触れないし、触れたくもない。この記事を最後に、誰が何を言おうと無視をするだろう。

最近は籠原スナヲという馬鹿の中でもとりわけ知能の低い人間がウダウダと騒いで上記のような主張をまた繰り返していた。何をどう読んだらそういう物語を読み取ることができるのかわからない。しかし、知能の低い人々はいつも僕の予想をはるかに超えた物語を創作する。いくら当事者がそれは間違いだと指摘しても決して間違いを認めず、現実よりも自分のなかにあるストーリーを重んじるのだ。まったく関わり合いになりたくないものである。しかし、僕は人が馬鹿であることや知能が低いことによって迫害されることは道徳的でないと考えているし、馬鹿であることや知能が低いことによる蔑視などあってはならないと考えているので、なんとも苦しいことに、いくら有害であっても彼らを心から非難する気にはなれないのだ。(もしこの文章から蔑視の意図を読み取ったとすれば、もう一度、もっと注意深く読むか、目についた話題にかんして何か言いたくなったとしても黙るという賢明な方向へと舵を切るようつねに心掛けることを勧める。)いやはや、どうしたものか。