すぐ恋愛の話をする社会が嫌い

 正確には、人は誰でも恋愛をするものだ、そのことについて他人と話すものだ、という同調圧力が嫌いだ。タイトルは僕がサークルクラッシュ同好会の会員として関西テレビ「桃色つるべ」に出演した際、僕の名前の上に書かれていた一文だ。

 

 開口一番、とまではいかなくとも、日常会話の最中に他人から「恋人はいるの?」と聞かれたことのある人は多いだろう。この世界は性愛を中心に動いている。少なくとも僕にはそう見える。空気は性愛で満たされていて、窒息してしまいそうだ。これは僕用の空気じゃない。言葉は性愛で構成され、それを受け取る目も耳も、それを発するこの口も、どこかぎこちなく動く。これは僕用の言葉じゃない。

 僕はここで性的指向の話をしているわけじゃない。エイセクシュアルだとか、デミセクシュアルだとか、エイロマンティックだとか、そういう性的マイノリティじゃなくとも性愛中心主義は息苦しいものだ。実際、僕はこういうふうにカテゴライズされることに強い違和感を覚える。わざわざ「するほう」と「しないほう」で分けて「しないほう」を名乗るなんて、まるで「する」か「しない」かが人間にとってものすごく重要なことみたいじゃないか。

 街を歩けば広告が、テレビを点ければドラマが、バラエティが、人は恋愛をするものだと語りかけてくる。どこかに性的指向の指す向きがあることを前提としたクィア運動を見て、また「ここまで来たって僕用の言葉はないんだ」と肩を落とす。確かに、歴史的には性的マイノリティは差別されてきたし、いまも差別されている。だから自分たちの性愛の権利を守るために声をあげ続けなければ”殺されて”しまうだろう。彼らにとってそれは死活問題で、僕はただ性愛の空気からの逃げ場がないことを我慢していさえすれば”普通に”生きていくことができる。僕のような人間に配慮する余力は彼らにはない。これは仕方のないことなんだ。我慢すれば済む。たかが数十年だ、どうってことはない。

 

 自分の居場所がないなら作ればいいじゃないか、と言われてしまうかもしれない。”禁煙席”を作るというわけだ。でもどうやったって、煙が漏れ出てくるのは避けられないし、生きるためには”喫煙席”を通らなきゃいけない。誰だって少しは目が痛くなるようなものを視界に入れながら生きている。誰だって誰かに副流煙を吸わせながら生きている。表現の自由は守られなきゃいけない。それでもやっぱり僕にとっては、この世界にはあまりにも刺激物が多すぎる。僕にはこの話をわかってくれる友達が何人かいる。彼らといる間、僕は”禁煙席”に座っていると言えるかもしれない。束の間の休息に過ぎないのだけれど。

 他人が恋愛の話をするのを聞くのが許せない、というわけではない。僕も場合によっては自発的にそういうテーマを選択して会話をすることがある。ただし、絶対にそれを他人に押し付けたりはしない。あくまでも、人間って恋愛するもんでしょ、というような決めつけ(本質主義)がダメなんだ。しない人もいる、はい覚えた覚えた、じゃ意味がない。する/しないの二項対立が生じる時点で恋愛というものが他と比べて特権化されてしまう。デミセクシュアル、のようにセクシュアリティの一種としてこれを記述することへの抵抗感もここに起因している。では性について一切の分類をするなというのか? と言われると、これも違うと答えるしかない。そうやって性的指向に名前をつけることで生きやすくなる人もいるのだから、これを否定するわけにはいかない。ただ、(あるともないとも言いたくない)「これ」に名前をつけること自体が抑圧になってしまうような人間もいる、ということだけ頭の片隅にでも置いといてくれれば、僕も少しは生きやすくなるかもしれない。

 

 読者の中には、じゃあなんでサークルクラッシュ同好会なんて入ってるんだ? と思った方もいるだろう。サークルクラッシュ同好会はLINEグループに入ったら入会となる。僕は大学の後輩からふざけてこのグループに入れられたので、完全に自分の意思で入会したというわけではない。それでもここに残り続けて(色々あって一度抜けていた時期もあったが)いるのは、特に性愛についてよく考えている集団の中の方がむしろ性愛中心主義の生活への侵食に気づいている人を見つけやすいからだ。ここには恋愛などの人間関係で悩んでいる人々が多く集まっている。その中には、自分がコミットしていない(あるいは必要もないのにコミットさせられていると薄々感づいている)性愛中心主義の社会からの押し付けが悩みの原因であるような人もいる。そうでなくとも、それが誰かの悩みの原因になりうるという事実にリアリティを感じることが、性愛をテーマとすることによって可能となるような人もいる。僕はこの可能性に賭けたい。さっき言った「わかってくれる友達」もサークルクラッシュ同好会の会員だ。僕はここに来てよかったと思う。

 

 

(この記事はサークルクラッシュ同好会会誌vol.7に寄稿したものである。)