ひとなぐりこけし

完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体

完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体

 急にクソでかい不安が襲ってきた。僕はうまくやれてる。大きな失敗はしていない。していないはず。ひとつずつなら大丈夫だ。ひとつずつこなしていけば……。不安がある。とにかく不安がある。最近はいろいろな変化があったから、身体か精神のどちらかが適応していないのかもしれない。身体と精神は分離して考えてよいものなのだろうか。どちらとも言えると思う。

 さて、変化について書こう。とにかくどこかに吐き出したい。1月から教習所に通い始めた。これがいちばんのストレス要因だ。教習所にはなかなか行けていない。とにかく、ここはアカデミアと違いすぎる。いつも不愉快なことが、なにかひとつは起こる。この前は1ヵ月ぶりに教習車に乗り、カーブを曲がることができるようになった。このペースだと免許は取れそうにない。夏までになんとかする必要がある。今は大学院への入学準備で忙しい。これは仕方ないことなのかもしれない。

 3月から書店バイトを始めた。生まれて初めて履歴書を書いたのだが、最初のその一枚きりで、あっという間にバイト先が決まってしまった。書店バイトは人気の職種らしい。僕が採用されたがために落ちた人もいるのかもしれない。覚えることはたくさんある。他の店員が僕を指して覚えが早いと言っているのを聞いた気がする。妄想かもしれない。言葉遣いは新人の中でいちばんよいと言われた。しかし、どうだろう。よく考えてみれば僕はもうすぐ(今月の23日で)22歳だ。ふつうの学生で、浪人も留年もしていないなら就職する年齢だ。僕はどちらもしていない。であれば、労働は、たぶんできなければならないのだろう。仕事がすこしうまくいっている、というくらいでは、あまり喜ばないほうがいいのかもしれない。かもしれない、としか言えない。いつもそうだ。世界はもっとわかりやすくなってくれ。

 いま飲んでいる薬のことも書いておく。半年くらい前からL-Tyrosineを飲んでいる。速をつけてガッとやりたいときには役立つ。残念ながら精神はあまりよくならない。買ったばかりの頃は精神もよくなっている気がしていたが、気のせいだったか、もしくは耐性がついてしまったらしい。精神をよくするため、先月あたりからDMAEを飲み始めた。そこまでの速がいらない日はDMAEだけでもじゅうぶん生活ができる。DMAEがなければ絶対にバイトなんてできなかった。こんどセントジョーンズワートとロディオラも試してみる。はやく完全な健常者になりたい。

 そうだ、いちばん大事なことをまだブログに書いていなかった。もう合格発表から半年も経ったのか。京大院の修士課程に行くことになって、入学手続は数日前に済ませてしまった。ニートにはならずに済むようだ。一応、阪大も受けていて、そちらも受かっていた。僕のような社会不適合者にとって通学時間の長さは死活問題だ(ひとり暮らしなんてできない)。府内だけですべてが済むならどれだけ精神によいことか。けれども、面接の空気がこわかったのと、僕がやりたい分野ではやっぱり京大が活発というのがあって、やめた。こういう選び方はよくないのかもしれない。バイトと両立できるのかという不安が大きい。でも、いまはこれが局所的な最適解だ。そう信じたい。学費の一部と、同人誌の印刷費を稼いだら、すべての生活を研究に捧げよう。僕は馬鹿なことをやっているのだろうか。たぶん、そうなんだろうな。そうするしかないんだ、頼むよ。

 これはもっと新しい話題だ。今月の7日から12日まで、所属している美術部の卒展があった。僕の絵は、ツイッターでやっている放言みたいなものばかりだ。デッサンもクロッキーも真面目にやっている。それを一枚の絵として完成させるのが苦手だ。油絵は高校1年生のときから描いているが、まったく上達していない。絵を描くのに向いていないのかもしれない。家にあったダンボールに百均の水彩絵具で気持ちの悪い絵を描いたものを展示した。「完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体」というタイトルで、キャプションには「その日、空には3体の天皇クローンが浮かんでいた。それが終わりの合図であることをみんな知っていたが、僕たちはただ、すべてが終わるのを見ているしかなかった。」と書いてある。意味なんてなにもない。ただのつまらない文字列だ。わざわざ展覧会に来るような人間というものは、すぐになにか意味を読み取ろうとする。だから、こうやって意地悪をしてやるんだ。みんなが空振りをしているのを見るのは楽しい。作品の意味なんてものはテクストと一緒で、作者がコントロールできるようなものじゃないんだ、とか、正しく読み取れているかではなく、とにかく読み取ることが大事なんだ、とか言われてしまうかもしれない。違うんだよ、そういうことが言いたいんじゃない。あと、デジタル作品もひとつ出したな。梅ラボみたいなやつ。インターネットっぽいやつ。業者に頼んで、A2サイズで印刷した。最終日の前日、あまりに壁面が寂しかったので作品を追加した。ギャラリーの壁に画鋲で小さならくがきをいくつか留め、ツイートを印刷した紙をテープで貼り付けた。「すべてが終わったあと、そこに残っていたのは、どろどろに溶けたインターネットアイドルの人権、社会学者だったもの、そして、おばあちゃんのビッグデータだった。さあ、ここに新しいクローゼットを置いて、たくさんおしゃれをしよう。ロボトミー手術を受けて、ふたりでしあわせになるんだ。」これも無意味だ。

 ひとつ下の学年が就活を始めている。こんなに恐ろしいこともなかなかない。みんな、どうか、どうかつぶれてしまわないでくれ。就活のことは僕にはわからない。進学するからやらなかった。僕もいつか就活をやるのだろうか。本当にやりたくない。どうしたらいいんだ。

 

 まだ眠れない。こんなものを書くんじゃなかった。もう寝よう。

あとは任せたぜスイッチ

 小学四年生のとき、家の前で知らないおじさんから「あとは任せたぜスイッチ」をもらった。それは当時の僕の手のひらにちょうどよく収まる大きさの機械だった。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、君じゃない君に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったら、「あとは任せたぜスイッチ」を押すといい。ちょうど十分後に作動して、君を楽にしてくれる。おじさんは僕にそう教えると、緑色の煙になって、ポワンと消えてしまった。おじさんが消えたあと、好奇心に負けてすぐに「あとは任せたぜスイッチ」を押したが、なにも起きなかった。なあんだ、つまんないな、と思いながら、僕はそのきれいなつや消しブルーの機械を本棚に飾っておくことにした。

 つぎに「あとは任せたぜスイッチ」を押したのは中学三年生のときだった。公立高校の入学試験を二日後に控えた僕は、冗談半分ですっかり埃をかぶった「あとは任せたぜスイッチ」を押してみた。でもやっぱり、なにも起きなかった。僕は五年前と同じようにがっかりして、ウェットティッシュで「あとは任せたぜスイッチ」を清潔な状態にし、もとあった場所へと置いた。

 

 高校受験はあっけなく終わり、僕は家からいちばん近い第一志望の高校に入ることができた。僕は「あとは任せたぜスイッチ」のことなど忘れ、はじめてできた恋人(名前は“やわらかい長方形”という)と、そこそこしあわせな日々を送っていた。

 やわらかい長方形は僕よりも勉強ができた。かばんにはいつも難しい本を何冊か入れていたし、難しい言葉を使わないと会話をすることができないらしかった。やわらかい長方形の話すことはほとんどなにもわからなかったが、僕は彼女の話を聞くのが好きだった。やわらかい長方形には少々情緒不安定なところがあった。僕はやわらかい長方形のことを深く深く愛していたので、そんなことは些細な問題だった。僕たちはうまくやっていた。うまくやっていた。うまくやっていた。

 

 高二の春、やわらかい長方形がよく僕を怒鳴りつけるようになった。やわらかい長方形が難しい言葉ばかり使って怒るので、正確にはよくわからないのだが、どうやら僕が他の女の子と浮気をしているのではないか、と疑っているらしい。もちろん、そんなことはしていない。していない。していない。

 高二の夏、本棚を整理しているとき、肘でうっかり「あとは任せたぜスイッチ」を押してしまった。なにも起きなかった。

 高二の冬、僕は本当に浮気をしてしまった。それは仕方のないことだった。断る方法を知らなかったのだ。弾力のある三角形はいい子だ。だから、弾力のある三角形を悲しませたくなかった。やわらかい長方形にはすぐにばれてしまった。僕は彼女の家に行き、「ごめんなさい」とちょうど千回言って、帰った。やわらかい長方形は泣いていた。もう、やわらかい長方形を泣かせるようなことをするのはやめよう、と思った。弾力のある三角形はそれ以来、僕と会話をしてくれなくなった。目も合わせてくれない。

 高三の春、僕とやわらかい長方形は、放課後の渡り廊下で大喧嘩をした。たまたま近くにいた友達が仲裁をしてくれて、その場はなんとか収まった。その友達は僕を慰めるためにブラックの缶コーヒーをくれた。コーヒーは嫌いだったが、とてもそんなことを言える状況ではなかった。彼は僕を慰めようとしてくれている。いろいろな言葉を、じっくりと考えて、僕にかけてくれる。僕はそのまずい液体を飲み干すのに必死で、なにも聞いていなかった。彼がいなくなると、すぐトイレに駆け込み、嘔吐した。それまでの人生でいちばんの罪悪感が僕を襲った。でも、仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。

 高三の夏、眠ることができなくなったので、インターネットで調べた情報をもとに、薬局で睡眠導入剤を買った。小さな白い錠剤で、口に含むとほんのり甘い味がした。その薬を「天使」と呼ぶことにした。僕は一週間に五回、「天使」を四錠飲んだ。「天使」は少しのあいだ、僕を救済してくれた。

 高三の秋、精神科でよくわからない肩書きをもらった。僕はそのことを誰にも言わないことにした。「天使」はだんだんと効かなくなってきていた。それでも僕は処方された薬を飲まなかった。それらは「天使」のようには甘くなかったからだ。やわらかい長方形と会う時間も体力もどんどんなくなっていった。やわらかい長方形は、毎日十通はメールをするように、と僕に命じた。僕は毎日六通から八通のメールを送った。もちろん、少なすぎると怒られた。僕にはどうすることもできなかった。メール十通ぶんの文章を考えると、僕の貧弱な頭は確実にパンクしてしまうだろう。

 

 やわらかい長方形は、大学入試にすべて落ちてしまった。たぶん、僕のせいだ。僕がきちがいだから、やわらかい長方形は勉強に集中できなかったんだ。僕は滑り止めで受けた私立大学に入ることになった。「天使」はもう完全に効かなくなっていた。

 大学一年目の冬、やわらかい長方形は受話器の向こうでずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。お前が悪いんだ、お前のせいで自分の人生は滅茶苦茶だ、そんなことを言っていたのだと思う。僕は頭が悪いから、難しい言葉ばかり使うやわらかい長方形の言うことがほとんどなにもわからなかった。でも、僕が悪いということだけは、はっきりとわかった。

  僕は「あとは任せたぜスイッチ」を押した。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、僕じゃない僕に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったから、「あとは任せたぜスイッチ」を押した。それはすごく自然なことだ。五秒、六秒、七秒、僕は右耳でやわらかい長方形の悲しい叫びを聞きながら、一秒一秒、ていねいに時間を数えた。

 

 四十秒、四十一秒…………一分………………

 

 

 

 

 

 

 五分………………

 

 

 

 八分三十秒…………八分四十秒…………九分……

 

 

 

 九分五十五秒。

 

 ――じゃあ、あとは任せたぜ。僕じゃない僕。君には、どうかここをうまく切り抜けて、しあわせに暮らしていってほしい! ああ、それともうひとつ。これだけは守ってくれ。やわらかい長方形には、絶対に、絶対に悲し

倫理

 べつにこだわりとか愛着とかがあるわけじゃないのだが、なんか馴染みのある言葉がまったく違った意味で使われてるのを見るとムズムズするので(こういう記事を書くのはハチャメチャに格好悪いというのはわかっているけれど)僕の現時点での理解を残しておく。

 「倫理界隈」という言葉がインターネットに初めて現れたのは、僕が把握している限りでは2014年春だった。僕たちは何者かによって大規模なリプ爆テロ*1を受ける。そのメインターゲットとなっていた2人周辺の界隈が倫理界隈と呼ばれたのだが、彼らはいくつか共通の特徴を持っていた。彼らの多くは文学フリマ界隈で、哲学・向精神薬・不謹慎ネタを好み、時折ドストエフスキー風のエモーショナルな文体で倫理が、天皇が、黒人が、とか言ってホモソーシャル的・オタク的に盛り上がっていた。よく「メンヘラ神」(「善き倫理を」と言い残して自殺した女性)関係の人間たちと思われているらしいが、「善き倫理を」の元ネタはK坂ひえきだから順番が逆なんだよな。

 そして、2014年のうちに倫理界隈という言葉で指されるような集団は消滅したと僕は思っている。リプ爆テロの後ちょっとギスギスしていたし、みんな自分の生活の変化(学業、仕事など)に適応するのに忙しい時期だったんじゃないかな。はるしにゃんの病状の悪化も相まって、みんなだんだん大人しくなってきた。

 2014年の後半から2015年の前半には東京のオシャレメンヘラがたくさん出てきて、倫理界隈と呼ばれた人間たちと交流するようになった。ここを全部合わせて倫理界隈と認識している人間もいるらしい。でも、でもな、もうそんなもの、とっくになくなっちまってたんだ! ……ここにあったんだよ、確かに……なあ、どこへ消えたんだ? きらきらと輝く、力強い、俺たちの、あの倫理は……。それに、やっぱり僕は根暗オタクだから、東京のシャレオツメンヘラと一緒にされるのには抵抗がある。

 2016年になると、ツイッター発達障害ブームみたいなものが起こった。インターネットで変なことを言っていた社会不適合者たちは仲間を見つけ、次々と繋がっていった。彼らは言葉に独特のインターネット文脈を付加して遊ぶのが好きで、それまでシュールな、または迫力ある語として持て囃されていた「クソデカい蟹」「完全な球体」「黒人」「天皇」のような単語は勿論のこと、「コーギー」「ペンギン」「女児」などの普通の単語で大喜びする段階にまで複雑にインターネット文脈が張り巡らされた。現在ではこのような、いわゆる「文脈語」を駆使する人間たちを倫理界隈と呼ぶことが多いらしい。

 繰り返すようだが、倫理界隈というのはとっくの昔に終わった局所的ムーブメントの残骸である。男子高校生の仲良しグループが進学して離れ離れになるように、あるいは大学生たちが就職して瞳の光を失うように、それは終わったのだ。もうそんな、死んだ言葉を使っても仕方がないだろう。終わったんだよ。終わったんだ。そう、すべて……。

力学系メモ

 時間 {\displaystyle t} に依存しない函数 {\displaystyle f:\mathbb{R}^{n}⊃W→\mathbb{R}^{n}} を用いて微分方程式 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=f(x)} で表される力学系を自励系という。 {\displaystyle x'=f(x,t)} で表される力学系を非自励系という。ここでは自励系について考える。

 {\displaystyle f( \bar{x} )=0} なる点 {\displaystyle \bar{x}} を平衡点という。微分方程式の解の一意性より、平衡点を通る解は定数函数のみである。
 微分写像ヤコビアンを同一視し、同じ記号で表す。 {\displaystyle x} における微分写像{\displaystyle df_x} と書くことにする。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} における微分写像 {\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で平衡点を分類しよう。固有値の実部がすべてノンゼロであるとき、その平衡点は双曲型であるという。固有値の実部がすべてゼロ、すなわち固有値がすべて純虚数のとき、その平衡点は楕円型であるという。さらに、双曲型平衡点を次の3つに分類する。固有値の実部がすべて負のとき沈点、すべて正のとき湧点(源点)、正のものと負のものが混じっているとき鞍点という。
 沈点の近くの解は指数函数的に沈点に近づく。すなわち、{\displaystyle λ<0} をすべての固有値の実部より小さな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≦Me^{tλ}||x-\bar{x}|| }
が成り立つ。 {\displaystyle φ_{t}(x)}力学系の流れである。
 逆に、湧点の近くの解は指数函数的に湧点から遠ざかる。すなわち、{\displaystyle λ>0} をすべての固有値の実部より大きな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≧Me^{tλ}||x-\bar{x}||}
が成り立つ。

 次に、Lyapunovの意味での安定性を定義する。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、任意の近傍 {\displaystyle N(\bar{x})⊂W} に対し、適当に {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})⊂N(\bar{x})} をとると、そこから出る任意の解 {\displaystyle x(t)}{\displaystyle t≧0} について定義され、{\displaystyle N(\bar{x})} 内に留まることをいう。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205173902p:plain
 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が漸近安定であるとは、それが安定であって、{\displaystyle t→\infty }{\displaystyle x(t)→\bar{x}} となるように {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})} がとれることをいう。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205174517p:plain
 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、それが安定でないことを意味する。図で表すと、下のようになる。
f:id:fukuso_sutaro:20170205174034p:plain
 図で{\displaystyle N(\bar{x})} とすべきところを {\displaystyle N(x)} と書いていることに注意。修正するのめんどくさい。

 明らかに沈点は漸近安定であり、湧点は不安定である。次の不安定性定理より、鞍点は不安定であることがわかる。
(不安定性定理){\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で実部が正のものがあれば不安定。
 従って、双曲型平衡点で安定かつ漸近安定でないものは存在しない。楕円型平衡点には安定かつ漸近安定でないものが存在する。例えば、2次正方行列 {\displaystyle A} で定まる力学系 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=Ax} について、{\displaystyle A}固有値が純虚数であるとき原点は楕円型平衡点であり、原点まわりの解は下の図のように流れている。
f:id:fukuso_sutaro:20170205175605p:plain

 沈点の近くの解に対し、差のノルム {\displaystyle ||x(t)-\bar{x}||} は減少函数として見ることができた。もっと一般的に、Lyapunov函数を構成することで平衡点の安定性を判定することができる。連続函数 {\displaystyle V:N(\bar{x})→\mathbb{R}}{\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}}微分可能であるとする。 {\displaystyle V} が次のふたつを満たすとき、 {\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数という。
{\displaystyle (i)} {\displaystyle V(\bar{x})=0}{\displaystyle x \neq \bar{x}} に対し {\displaystyle V(x)>0}
{\displaystyle (ii)} {\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}} 上で {\displaystyle dV_{x}(f(x))≦0}
 また、 {\displaystyle (ii)} の不等式がイコールを含まないとき、狭義Lyapunov函数という。
 例えば、3次元力学系 {\displaystyle (\frac{dx}{dt},\frac{dy}{dt},\frac{dz}{dt})=(2y(z-2),-x(z-1),xy)} の原点におけるLyapunov函数{\displaystyle V(x,y,z) = x^2 + 4y^2 + 2z^2} で与えられる。ちなみにこの平衡点は安定だが漸近安定ではない。
 Lyapunov函数が構成できれば、次のLyapunovの安定性定理によって平衡点の安定性が判定できる。
Lyapunovの安定性定理){\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数が存在すれば {\displaystyle \bar{x}} は安定。また、狭義Lyapunov函数が存在すれば漸近安定。

『グッバイグーグルアイ』執筆者募集

 2017年9月18日(月・祝)の第五回文学フリマ大阪での頒布を目標に、青本舎(せいほんしゃ)から文芸誌『グッバイグーグルアイ』を発行します。原稿を出したいという方は青本Twitterアカウント(@book_blue_book)までご連絡ください。また、青本舎編集部のメンバーも募集しています。現在(5月28日時点)で文章3、イラスト2、短歌2掲載予定。最終稿は7月中にお願いします。

 

 掲載の決定は完全に編集部の趣味に左右されます。ジャンルは以下のものを想定していますが、これ以外でも良いと思ったものは載せます。

・小説、詩、エッセイ

・漫画、イラスト

・学術論文

・評論

 

青本舎編集長

複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)

トーキョー的なものへの抵抗1

 関西、とりわけ大阪にはボケ/ツッコミというコミュニケーション救済システムが存在する。関西人はよく「話にオチを求める」と言われるが、オチのない、明確な目的のない会話よりも、むしろ「オチ」というわかりやすいゴールに向かう会話のほうがより原初的なコミュニケーション形態であると言えよう。漫談というガイド線が引かれた関西のコミュニケーションは、社会的なフィルターに弾かれて落ちこぼれていたはずのコミュニケーション貧困層(いわゆるコミュ障)を掬い上げる「救済システム」として機能している。このシステムがすべてのコミュ障を救うかといえば、もちろんそんなことはない。しかし、この“掬い上げ”がパリピコミュニケーション(party people すなわち「ノリの良い社交的な場が好きな人々」がしているようなコミュニケーション)に適応できる人間と適応できない人間のあいだにある壁を薄くしてくれることは想像に難くないだろう。

 ボケ/ツッコミの役割分担は場を強制的に喜劇へと変える。言い換えれば、関西では「喜劇」が絶対者としてコミュニケーションに介入してくる。なぜ人は(臨床的ではなく広い意味で、双極性障害境界性パーソナリティ障害“っぽい人”としての)メンヘラになるのか。その原因はおそらく、その人が認識する世界の様相と、現実世界の様相との差異があまりにも大きいことであろう。一方に自分の認識を通した世界が存在し、他方で「どうしようもなくこう在ってしまう」ような現実世界も存在し、この矛盾を解消するためにメンヘラリティが生み出される。ここにメンヘラリティとは別の調停法があるとすればどうだろう。ボケ/ツッコミの役割さえ与えられれば、すべてが強制的に喜劇化され、自分の認識する世界も現実世界も第3の「喜劇世界」に意味を書き換えられてしまう。ここにはもう、矛盾などないのではないか。

 それでもメンヘラリティを生み出してしまう者が存在する。各々に個別の複雑な事情があることは確かだが、もっと大域的に見てみると、どうも彼らには「喜劇」という絶対者を信じられない傾向、いわばニーチェ的な偏屈さがあるらしい。だから、関西には世俗的なモノに強烈な拒否反応を示すメンヘラコミュニティが多い(ただ、これはあくまでも大域的な見方であるということに注意してもらいたい)。ということは当然、世俗的なモノの極限点たるパリピコミュニケーションは極力排除される。

 東京にはボケ/ツッコミのような救済システムは無い。至る所に孤独が点在する。関西メンヘラのような偏屈さを持っていなくとも、誰でもメンヘラになり得るのだ。その中には「ノリの良い社交的な場が好きな人々」も多くいるだろう。パリピはコミュニティを作るのが得意なため、パリピコミュニケーションに適応した東京メンヘラのコミュニティは早いスピードで成長していく。彼らはインターネットで積極的に関わり合い、シャレオツなファッションとツウなミュージックの情報を交換する。それ自体は決して悪いことではないが、その陰で、パリピコミュニケーションに深刻な不適応を示す偏屈野郎がメンヘラコミュニティに入りづらくなっているのではないだろうか。実際、世俗的なモノを徹底的に嫌う東京メンヘラをインターネットで見る機会は、かなり少ない。彼らはどこにいるのだろう。ここに良くない階層性がある気がしてならない。じつは、その階層性が目に見えるモノとして現れたのがメ■ヘラ展でありメン■ラ.jpであると思って僕はネチネチとワルグチを言い続けているのだが、あまり同意は得られそうにないし、このふたつには他の問題(「メンヘラ」のブランド化とか、本当にそれでアートを通した表現ができるのかとか、単純にイタいとか)もかかわってくるので簡単に結び付けられるわけでもない。だが最近のインターネットメンヘラ界隈を見ていると、得体の知れない不安を感じるのだ。

催眠商法(SF商法)潜入ルポ

 昨日12時50分、京■大学近くの某シェアハウスに到着。13時、メ■ーマー■潜入部隊が集合した。作戦は15分後、■都大学から歩いて数分のところに2ヵ月限定で店舗を構える「■リー■■ト」にて決行。ここで行われているのはいわゆる「催眠商法」「SF商法」で、要は来場者プレゼントなどの餌によっておびき寄せた老人・主婦らを心理学的な手法で洗脳し、購買意欲が異常に高まった段階で高価な商品を売りつける悪質な手口だ。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
 企業名をググってもあまり多くの情報はヒットしないが、2005年にヤフー知恵袋で被害が報告されているのを確認することができる。2ちゃんねるでもたまに言及されるらしい。労働環境が粗悪、脱税が発覚したなんて噂もある。当日0時過ぎにメリ■■■トツアーのことを知ったが、こんなに面白いオモチャもなかなかないのですぐに同行を決めた。

 受付で米1kgを受け取った。入場にはひとりにつき100円が必要となる。すべてが終わったあとにトイレットペーパー12ロールが支給され、さらに前日も参加していれば、メリ■■ー■を紹介した側とされた側がそれぞれティッシュを5箱ずつもらえる。1時間と少し座っていれば確実に1,000円分以上の物資と話のネタが手に入るのならまあ悪くない。
 特に問題なく入場できたが、100人ほどの老人で溢れかえる会場で20代前半の僕たちはとてつもなく浮いた。開始時間の10分以上前にはすでに席が埋まっていたため、最後列に予備の椅子を用意してもらい、着席した。iPhoneのボイスメモを起動してポケットに忍ばせる。内装を撮影しておきたかったが、誰にも気づかれず写真を撮ることはできそうになかった。ただ白いペンキで塗られただけの無機質な壁、古びたパイプ椅子、トイレットペーパーしか並べられていない前方の長机、店長の頭上に掲げられた不気味な笑顔のロゴマーク。見たところ相手方の勢力は3人で、よく喋るガリガリの店長(新婚)、ぽっちゃり体系アラレちゃん眼鏡の女性店員(さーちゃん22歳)、ぎこちない体育会系男性店員。こちらは8人いるので殴り合いになれば奥にあと数人いたとしても勝てるはずだ。

 予定よりも10分ほど早く店長の弾丸セールストークが始まった。

店長「はい、えー、それでは皆様お待たせいたしました! 改めまして、こんにちはー!」
老人「「「こんにちはー!!!」」」
店長「はい、えー、それではですね、まだお時間前ではございますけどもね、あの、ちょっとですね、人が多いんですごく暑いんですけども」
さーちゃん「そうですねー」
店長「あの、今日の朝、もっとすごかったんですよ!」
さーちゃん「はい」
店長「ねえ、あの、けっこうね、お客さんらですね、お昼空いてるからお昼行こうって方が多かったんですね」
さーちゃん「そうですね」
店長「でもですね、朝から少ないかなーと思ったらめちゃめちゃ多くて! 朝も多くてお昼も多くてですね、こんなに街に人がいるのかなと」
さーちゃん「うんー」
店長「噂らしいんですよ。なんかぞろぞろ人が歩いてるけど、祇園祭今日やったかなーって」

 当然だが、喋りはなかなかうまい。老人たちも数日前から複数回ここに来ているため、統率のとれた反応を返してくれる。コールアンドレスポンスもほぼ完璧だ。前日に同じ場面があったのだろう。まるで打ち合わせでもしたかのように声を揃え、老人たちは店長の望んだ通りの反応を引き出される。うまく合わずとも店長がそれを笑いに変え、失敗したところを何度か練習する。おそらくこの練習も後日生かされることになる。僕が店長のジャブにひるんでいると、間髪入れずに店長とさーちゃんのあっちむいてホイバトルが始まった。会場を左右で店長チームとさーちゃんチームに分け、勝った側が全員きしめん1袋をGETする*1。普通に楽しい。この時点でトーク開始から3分。もう引き込まれそうになっている。「こっそり録音している*2」という緊張がなければもうあちら側に取り込まれていたかもしれない。

店長「笑うと人間は免疫が上がります。みなさん、癌という病気、なりたいですかなりたくないですか? なりたくは?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「なりたくは?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「(さーちゃんを指差して)彼女はお金が?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「そうなんですよー!」
老人「「「ワハハハハハハ!!!」」」

店長「残念ながら健康食品バリバリ食べてる人だけが元気で長生きできるんか言うたらそうでは」
老人「「「ない!!!」」」
店長「そうでは」
老人「「「ない!!!」」」
店長「私は骨と皮しか」
老人「「「ない!!!」」」
店長「いやいやいやいやいや!」
老人「「「ワハハハハハハ!!!」」」

 こんな感じのコールアンドレスポンスが頻繁に挿入され、ちゃんとやらないと体育会系男性店員が圧をかけてくる。彼は背が高いうえに笑顔が下手なので本当に怖い。黙ったまま店長の話を聞いていたら結構マジなトーンで「後ろ2人!」と怒られたし、老人にもたまにきつく当たることがある。さーちゃんより年上とのことだが、濱田マリっぽいハキハキとした喋りのさーちゃんと対照的に店長の話への相槌が絶望的に棒読みで、タイミングもガバガバだ。この仕事をこの先も続けるのなら早く改善したほうがいい。

 店長が健康にかんする話について全然エビデンスを出さないことは少し気になっていたが、序盤はトークのスピードにまんまと誤魔化されていた。疑問を持つ隙も与えてくれない。立ち止まって考えていると店長は先へ先へと話題を変えていってしまう。この話は本当に商品と関係があるのだろうか。だが、20分くらい経った頃に店長がとんでもないことを言い出したもんで、僕はようやく正しく状況を認識することができるところまで回復した。

店長「実はですね、そういう放射能が漏れてですね、魚にですね、大きな影響を与えている魚が、あるんですよ。そしてですね、そういうものを食べるからですね、今ですね、若者たちに、病気がすごく多いんですよ。で、それが何か言うたらみなさん、奇形児とか異常児*3って言われてるんですけども、ねえ、あの、異常児の子供が非常に多い! もっと言うとですね、あの、異常児じゃなくてもね、アトピー、アレルギーがなんで多いのかって調べてみたときに、親が食べるものが悪過ぎるんですよ! わかります? だからですね、今はですね、あの、こういうふうに指が一本少ない子供を少指症*4って言います」
さーちゃん「少指症!(かわいい)」
店長「指が一本少ないんですよね、四本しか無いんですよ。逆にですね、指が一本多い子供を多指症って言うんですよ」
さーちゃん「多指症!(かわいい)」
店長「そしてね、可哀想なのがこの前ですね、海外のほうになるんですけれども、赤ちゃん生まれたら鼻が無かった子供が生まれたんです。鼻が無かった」
さーちゃん&老人「「「へー!!!」」」
店長「それがですね、あの、なんや言うたら、無い鼻と書いて、無鼻症と呼ばれます!」
男性店員「無鼻症!(棒読み)」
店長「無鼻症! そしてですね、目が一個しかない子供を、単眼症と言います!」
さーちゃん「単眼症!(かわいい)」
店長「で、単眼症の子供は可哀想にね、目が無いときに、右とか左だけ無いんじゃないんですよ。で、どうなるんですか言うたら目が必ず真ん中に寄るんですね」
老人「「「へー!!!」」」
店長「単眼症って。で、あの、そういう子供が生まれてます。じゃあなんでそういう子供がいま多くなったのか言うたら一番調べてみたら、やっぱり食べ物が悪くなってるんです!」

 店長、お前……よりにもよって理学研究科を置く北部のすぐ近くでやりやがったな……! 僕の頭の中ではなぜか機動戦士ガンダムUCのBGMが流れていた。
 ここで店長は韓国海苔12パックセットの紹介をしたかったようだが、放射能の話は全く必要なかった。「奇形児」「異常児」などの衝撃的なワードで無駄に老人の不安を煽り、なんかよくわからんがとりあえず海苔を買えば安心だというふうにミスリードしたように見えた。

 その後も店長は会場内の学生の目も気にせず根拠の不明瞭な話を続け、さーちゃんはキュートで、体育会系男性店員は棒読みだった。男性店員の発する圧で1時間の洗脳トークは異常に長く感じられた。今日販売された商品はほぼ常識的な価格設定だったが、2ヵ月かけてこの老人たちは徐々に高い商品を買わされるようになっていくことだろう。なんと今だけ12,900円分の青汁を購入するだけで会員登録できるだなんて謳っていたが、もはや誰もおかしいと感じていない様子だった。
 14時半ごろにようやく店長のトークと商品の販売が終了し、僕たちはトイレットペーパーとティッシュを受け取った。人数が人数だけに、なかなかの収穫だ。

f:id:fukuso_sutaro:20160908230705j:plain

 帰り際に潜入部隊のメンバー数人が店長と少し会話した。店長は傍目から見ると来場者プレゼント乞食の僕たちにも優しく対応してくれた。根はいい人なのかもしれない。店長、あんたとはもっと別の出会い方をしたかったよ。そしたら、友達になれたかもしれないな。

 ――ある程度の覚悟はしていたが、やはり催眠商法は恐ろしい。年老いた自分がもしひとりだけでこういった場に足を運んでしまったら、正直なところ催眠商法に絶対引っ掛からないとは言えない。今回潜入した8人は、心理学とか社会学とか、何かしらそういう武器を持って臨んでいる。それでも何人かは「引き込まれそうになった」と感じた。彼らの手口は相当洗練されている。僕の無防備な家族があの場にひとりでいたらどうなっていただろう。そう考えると、メ■ーマ■■をただネタ的・アトラクション的に消費しているだけではいけないのではないだろうか。この店長よりも強引な、もしくは■リー■■トよりも強引な手を使う者もいるはずだ。自分、そして家族の身を悪徳商法から守るため、僕たちはどうすれば良いのか。彼らの手口をもっとよく知っておく必要がありそうだ。

*1:さーちゃんが勝利した。

*2:https://www.youtube.com/watch?v=kbsr2qRxPMM

*3:放射線医学県民健康管理センターの調査結果(http://fukushima-mimamori.jp/outline/report/media/report_h26.pdf)によって否定されていることは調べればすぐにわかる。

*4:欠指症のことか?