ひとなぐりこけし

完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体

『問題のある子』執筆者募集

 2018年1月21日(日)の第二回文学フリマ京都での頒布を目標に、青本舎からインターネット大倫理文学第2巻『問題のある子』を発行します。印刷まであまり期間はありませんが(本当に申し訳ない)、なにか載せたいという方はご連絡ください。小説、詩、短歌、イラスト、漫画、学術論文、批評、なんでもOKですが、ある程度のページ数を確保できるものであると嬉しいです。また、可能であればタイトルに合わせて「学校的なもの」「学級崩壊」などの要素を入れていただけるとありがたいです。既に知っている人、過去に同じ誌に参加した人、顔見知りなどを想定していますが、僕の知らない人で載せたいものがある場合はご相談ください。2018年にはインターネット大倫理文学第3巻の発行も予定しておりますので、決定稿が今年中に上がらなかった場合はそちらへの掲載となりますことをご了承ください。

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※表紙は仮のものなので変更するかもしれません

絵画は融解する――展覧会「おまーじゅじゅじゅ!お前と12人のSUMMER」レポート

 そこにはオマージュがあった。そしてオマージュでないものがあった。それらの境界――あるいは境界などはじめからなかったのかもしれない――は溶け合い、互いの領域を侵犯し、目の前にはただ、裸の絵画がいくつもいくつも立ち現れていた。そして立ち現れていなかった。僕たちは通天閣のふもとに展示されているそれら、また同時に、展示されていないすべてに向き合いながら、同じ時間/空間を(非)共有していた。

 2017年8月31日から9月3日までの4日間、大阪新世界のギャラリー1616にてグループ展「おまーじゅじゅじゅ!お前と12人のSUMMER」が開かれた。出展作家は題の通り12人。主催は妹(犬飼のりを)の高校時代の先輩であるきゃらあい氏と庄司理子氏であり、その縁で何度か彼女らの展示に訪れていた僕は今回の展示に出展者として誘われた。高校・大学と美術部に所属していたため、不特定多数に作品を公開する経験はしていたが、個人としての出展はこれが初めてである。

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[図1]「おまーじゅじゅじゅ!」のDM

 

 出展作家12人は以下の通り。リンク先はツイッターアカウント。

きゃらあい

庄司理子

さめほし

・犬飼のりを

むくむくしたけもの

ツヅキエイミ

成田拓弘

前田朝帆

・羽鹿守

原 康浩

杉原仁

複素 数太郎

 大阪以外からの参加者が多く、会期中にお会いできなかった方も何人かいたが、図々しくも搬入から搬出までずっと居座ったために大半の出展者と話すことができた(だから来場者のほとんどは僕の姿を見たはずだ)。彼ら/彼女らは全員まったく異なる作風・バックグラウンドを持ち、「おまーじゅじゅじゅ!」で初めてその存在を知った表現方法(原氏のシンナードローイング等)もあった。

 「おまーじゅじゅじゅ!」のテーマはもちろん「オマージュ」である。各々がオマージュ作品をひとつ(と普段どおりに制作した作品をいくつか)出展する。オマージュ作品のキャプションにはエクスクラメーションマークのスタンプが押されているが、オマージュ元の作品は記載されていない。基本的には来場者が主催者あるいは作家本人に聞いたときのみ、それは明かされる。作品内に元ネタが書き込まれているもの、音楽好きの人間ならわかるもの、美術に明るい人間ならわかるもの、マニアックすぎて誰にもわからないもの、様々なオマージュ作品が持ち込まれた。僕の作品はビートルズのRevolver風に主催2人と妹の作風を真似たキャラクターを配置するものだった。ここには「いつまでもオマージュする側でいられると思うな」というメッセージが込められている。軽い気持ちでネタかつメタ(そしてベタ)な要素を組み入れた、決して優れたクオリティであるとは言えないようなこの絵に、じつはこの展覧会の“意義”がうまく反映されていたのではないか、と会期終了後にふと思った。

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[図2]"Bad Day Sunshine"(複素 数太郎)

 

 多くの作家は固有の作風を持つ。イラストレーター然り、ミュージシャン然り、そのアーティスト固有の作風に何かを感じることによって、鑑賞者は無数の作品の中から特定の作品を選好する。「おまーじゅじゅじゅ!」出展作家の中では特にきゃらあい氏、庄司理子氏、さめほし氏、むくけも氏がその作風に極めて強い固有性を持つと言えるだろう(リンク先で各々の作品を見ることができる)。

 ここでひとつ思考実験をしてみよう。あるアーティストが自分にかんする記憶を完全に失ってしまった。芸術というものはある程度までは身体で覚えるものである。突然なにも作れなくなる、という状態にはならないかもしれない。しかし、彼はそれまでと同じような作風を維持することができるだろうか。直観的にはかなり難しいことのように思われる。我々は作品を制作するとき、それまでの反省や成功体験に基づいて手を動かしていくはずだ。いくら技巧的なこと、思想的なことを意識の外に出そうとしても、完全に過去の影響を受けずになにかを作り上げることはできない。加えて、おそらく誰しも過去に制作した自分の作品を頭の片隅、あるいは中心に思い浮かべながら作業を進めていくのではないだろうか。だからこそ、作風は作風たり得るのではないか。

 およそなにかを表現するとき人は過去の自分自身の作品と向き合い、それを参考の対象または打倒すべきものとしていずれかの意味で“尊重”しなければならない。ここで行われていることは、本質的には自分自身へのオマージュであると言えよう。エクスクラメーションマークのスタンプはすべてのキャプションに押されているのである。すべてのアーティストは「オマージュされること」から決して逃げられない、というのがこの記事における僕の立場だ。会期中には在廊作家がお互いのオマージュ作品を制作したり、それらをそのまま物販コーナーで販売したりしていた。あの日のギャラリー1616ではあらゆる境界が融解していた。途中から元々の出展者ではない13人目(木岡氏)の作品さえ展示された。

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[図3]きゃらあい・庄司理子・犬飼のりを・複素 数太郎のドローイング合作

 

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[図4]「おまーじゅじゅじゅ!」のオマージュ(複素 数太郎)

 

 ここまで考えたところで、改めて出展作品たちの姿を想起した僕は驚いた。さめほし氏と氏の作品は、まさに「融解」したものであった(リンク先で「おまーじゅじゅじゅ!」展示作品を見ることができる)。オマージュとオマージュでないものの境界が溶け合っている今回の展にぴったりだ。

 さめほし氏は3枚の融解した女の子の絵を展示していた。そのうちの1枚は、複雑に変形して顔すらわからなくなっている。個人的にはこれが「おまーじゅじゅじゅ!」で最も好きな作品だ。原氏はNational Geographic誌をシンナーで部分的に溶かしたものを展示していた。オリジナルの挿絵や文章とそれらが溶かされた部分が混在し、よく観察してみるとその溶かしかたも様々に工夫されており、既製品である雑誌とその偶然的な棄損とそれらに注ぎ込まれた意図的な効果それぞれの境界はすべて曖昧になっていた。ついでに書き記しておくと、僕が最終日のみ物販に追加した「どろどろガールポストカード」はまったく意図せず「女の子のキャラクターが徐々に融解していく様子」を描いたものとなった。

 

 会期中、至る所で絵画は融解していた。原理的にも、象徴的にも、現実的にも。原理的にはオマージュとオマージュでないものの境界の融解/結合である。象徴的には「おまーじゅじゅじゅ!」のコンセプトの融解/拡張である。現実的にはいくつかの作品群の融解/溶解である。

 ――絵画は融解する。これは鑑賞者としての僕が「おまーじゅじゅじゅ!」から読み取ったメッセージだ。もしかすると、他の出展者にとってそれはひどく的外れなものなのかもしれない。しかし、それでいい。この記事を書いている僕はあくまでも鑑賞者であり、いつだって鑑賞者は常にひどく的外れかもしれないメッセージを受け取り続けるものなのだから。

展覧会「おまーじゅじゅじゅ」及び第五回文学フリマ大阪にて『グッバイグーグルアイ』販売

 8月31日(木)~9月3日(日)に新世界のギャラリー1616で開催される展覧会「おまーじゅじゅじゅ!お前と12人のSUMMER」にて、文芸サークル青本舎から発行される記念すべき1冊目『グッバイグーグルアイ』を物販コーナーに置く予定です。こちらは印刷の状況などにより変更となる場合があります。僕の絵も2枚展示されるのでぜひ寄ってってください。

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 また、9月18日(月)の第五回文学フリマ大阪青本舎ブース(D-53)でも『グッバイグーグルアイ』を頒布します。その他にもサークルクラッシュ同好会会誌Vol.5.5なども委託販売します。

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 本誌の奥付には「インターネット大倫理文学 第1巻」と書かれています。当然、第2巻も第3巻も発行します。第2巻は2018年1月21日(日)に開催される第二回文学フリマ京都でのお披露目を目標として制作中です。もうしばらくお待ちください。

 

グッバイグーグルアイ コンテンツ一覧

小説

・国境線上の男 複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)

・光の空降るエンドロール 四流色夜空(@yorui_yozora)

短歌

・飛縁魔 寺村たこ(@tacolinus2)

・アングラ・ピープル・サマー・ホリデイ かみしの(@KamisinOkkk)

・静かな生活 リスカちゃん(@honenoumi)

mind map

夢日記 宇田川(@ijafad)

 

表紙 複素 数太郎

裏表紙 しずまうに(@CZ6Au2)

「ポール・ド・マン論争」論争にかんするメモ

 発端は借金玉(@syakkin_dama)氏の以下のツイートである。

好きなデリダですが、ポール・ド・マンが昔コソっとナチってたのが死後バレてシバいていく方針になったときに「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」ってキレて「おまえの理屈で考えてそれ無理筋だろ」って怒られたデリダです。

 

「まー、長い人生ナチってしまうこともあるよ。それはともかくあいつええもん書いてるだろ」くらいの穏当な反論をすればよかったんだけど、「あれはそういう意味じゃないんだ!」っていったので、ここぞとばかりにシバかれた。何せ、発話の意味を一意に定義するってのはデリダの思想とは相性悪い。

 「デリダがそんなこと言うか?」と思ったのと、以前高橋哲哉デリダ』でまったく違う解説を見た記憶があったのとが僕のソーカル魂を呼び起こしたので検証することにした。デリダポール・ド・マン論争に言及したテクストは J. Derrida, Like the Sound of the Sea Deep within a Shell: Paul de Man's War, Critical Inquiry, Vol.14, No.3, (1988), 590-652. くらいしか知らないので、こいつを読めばいいのだと思う。申し訳ないがフランス語は苦手*1なので Peggy Kamuf 訳を参照することを許してほしい。この記事で挙げられるテクストはすべて和訳あるいは英訳のみの確認にとどまっている。

 まず、高橋哲哉氏の解説を見ておこう。少し長いが、引用する。注は引用者によるもの。

ポール・ド・マン論争は、同年*2一二月、今度はアメリカではじまった。脱構築批評の第一人者ポール・ド・マンが、一九四一年から四二年にかけて、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで親ナチの新聞に寄稿していたこと、記事の一つ*3は明らかに反ユダヤ主義的主張を盛っていることが、ベルギー人研究者の調査で判明し、『ニューヨーク・タイムズ』の一面記事で報道されたのである。ド・マンはすでに八三年に死去し、デリダはやがて『記憶=回想――ポール・ド・マンのために』(一九八八)に収められることになる追悼講演や講義をしていた。「アンチ脱構築の役人たち」にとっては、千載一遇のチャンス到来である。ハイデガーのケースと同じく、「下手人」の亡霊を悪魔祓いしようとする攻撃が開始され、若きド・マンのナチ協力と渡米後の沈黙が、脱構築の倫理的不健全さと政治的いかがわしさの疑う余地なき証拠とされた。ナチ=ド・マン=デリダの連想の成立である。これに対してデリダは、覇権下でのヨーロッパ新秩序、フラマン・ナショナリズムといった全体主義的諸要素も広範に見られることを基本的に承認し、「苦痛に満ちた驚き」を味わったとしながらも、ド・マンのテクストはけっして単純に等質的ではなく、そこには右*4の諸要素をみずから裏切るような諸契機も同様に存在する、と主張する。そして、その後のド・マンが完全に手を切った二〇歳台はじめの過ちを理由に、ド・マンの業績全体と脱構築をも葬り去ろうとすることは断じて容認できない、と応じたのである。

 ド・マンの記事を読んでいないのであまり踏み込んだことは言えないが、しかしこれが本当ならデリダの主張としてまったく違和感なく読むことができる。なんらかのルートでデリダに触れたことのある方々は「(少なくとも形式的には)一定の譲歩をしつつも、そこにはべつの可能性がつねにつきまとうということを示す」というやり方を何度か見た覚えがあるだろう。デリダは自分の哲学的手法の厄介さを自覚していた。その態度は例えば彼の著作 Histoire du mensonge: Prolégomènes の終盤などでうかがい知ることができる。だからデリダが先のツイートのような形で雑に自分の言説に絡めとられるという状況があまり想像できないのだ。

 借金玉氏が根拠としているテクストはエヴァンズの In Defence of History である。エヴァンズによる論争の紹介はまだ確認していない*5が、塩川伸明氏のサイト*6にまとめられているようなので、ここを参照してほしい。

 

 さて、デリダが「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」と言ったのかを見てみよう。当該誌のp.600及びp.601から引用する。

 My feelings were first of all that of a wound, a stupor, and a sadness that I want neither to dissimulate nor exhibit. They have not altogether gone away since, even if they are joined now by others, which I will talk about as well. To begin, a few words about what I thought I was able to identify at first glance but a glance that right away gave me to see, as one should always suspect, that a single glance will never suffice―nor even a brief series of glances.

 ド・マンの“反ユダヤ的”記事を読み、デリダは深く傷ついたという。そして、その気持ちは今でも完全には去っていない。ド・マンの記事に悪い部分があることを認めたという点では高橋氏の説明と一致する。しかしここでデリダは「怪しむべき」と留保しているから、早まらずに注意して読み進めなければならない。なぜ傷ついたのか。彼は3つの理由を挙げる。

 A painful surprise, yes, of course, for three reasons at least: (1) some of these articles or certain phrases in them seemed to manifest, in a certain way, an alliance with what has always been for me the very worst; (2) for almost twenty years, I had never had the least reason to suspect my friend could be the author of such articles (I will come back again to this fact); (3) I had read, a short while earlier, the only text that was accessible to me up until then and that was written and signed by Paul de Man in Belgium during the war. Thomas Keenan, a young researcher and a friend from Yale who was preparing, among other things, a bibliography of de Man, had in fact communicated to me, as soon as he had found it in Belgium, the table of contents and the editorial of an issue from the fourth volume of a Brussels journal in which de Man had published his first writings. He had been a member of the editorial committee, then director of this journal, Les Cahiers du Libre Examen, Revue du cercle d'étude de l'Université Libre de Bruxelles, founded in 1937. Now, what did this editorial say in February 1940, at the point at which de Man had just taken over the editorship, in the middle of the war but right before the defeat? Without equivocation, it took sides against Germany and for democracy, for "the victory of the democracies" in a war defined as a "struggle ... against barbarity." This journal, moreover, had always presented itself as "democratic, anticlerical, antidogmatic, and antifascist." Here then are three reasons to be surprised by the texts dating from the following year and that I discovered with consternation.

 ひとつ目の理由。この記事にはいつもデリダにとって最悪だったものとの同盟関係が現れているらしいこと。すなわち全体主義である。ふたつめの理由。デリダはド・マンがこのような記事を書くなどと疑ったこともないこと。そして、ド・マンが問題の記事を書くほんの少し前に「民主主義に賛成する」テクストを発表していたこと。

 But I said that right away I had to complicate and differentiate things, as I will have to do regularly. My surprise did not come all at once. Even as I reassured myself ("good, during his Belgian youth that I know nothing about, Paul was, in any case, on the 'right side' during the war!"), what I had quickly read of this editorial left me with an uneasy feeling and an aftertaste. In passing, but in a clearly thematic fashion, I was able to identify their source. And here we approach the heart of the problems we have to talk about. They are not only Paul de Man's problems, but those of the equivocal structure of all the politico-philosophical discourses at play in this story, the discourses from all sides. Today, yesterday, and tomorrow―let the dispensers of justice not forget that!

 right side は「正しい側」と「右側」をかけた言葉遊びだ。デリダはド・マンの記事から自らが読み取ったものに不安を感じた。彼は不安の出所が「我々が話題にしなければならない諸問題」であることを突き止めたという。その諸問題はド・マンだけではなく、この物語のなかを浮遊しているすべての政治的、そして哲学的論説――あらゆる側からの論説――の両(複)義的な構造の問題である。

 以降、デリダはド・マンのテクストから「上の諸要素をみずから裏切るような諸契機」を抽出していく。ここで問題となるのは、借金玉氏が言うようにデリダがド・マンの記事の「意味を一意に定義」しているか否かである。ド・マンの記事を読んでデリダが感じた気持ちが「今でも完全には去っていない」こと、そしてデリダがあくまでも equivocal と表現していることが解答であると言ってしまっても良さそうだが、もう少し本文を拾っておこう。p.631から引用する。

 Through the indelible wound, one must still analyze and seek to understand. Any concession would betray, besides a complacent indulgence and a lack of rigor, an infinitely culpable thoughtlessness with regard to past, present, or future victims of discourses that at least resembled this one. I have said why I am not speaking here as ajudge, witness, prosecutor, or defender in some trial of Paul de Man. One will say: but you are constantly delivering judgments, you are evaluating, you did so just now. Indeed, and therefore I did not say that I would not do so at all. I said that in analyzing, judging, evaluating this or that discourse, this or that effect of these old fragments, I refused to extend these gestures to a general judgment, with no possibility of appeal, of Paul de Man, of the totality of what he was, thought, wrote, taught, and so forth.

 デリダは「ド・マンの裁判において私は判事や証人、検察あるいは弁護人として語っているのではない」という。しかし「お前は絶えず判決を、そして価値判断を下している」と言う者もいるだろう。デリダはこう弁明する。「そのようなことをまったくしないつもりだとは言っていない。こう言ったのだ。この論説やあの論説、これらの過去の断片のこの効果やあの効果、そういったものの分析・判決・価値判断において、ド・マンが存在したり、考えたり、書いたり、教えたり等々の全体によって上訴する可能性がもうないゆえに、私はこうした身ぶりを一般的な判断に拡張することを拒んだ」。彼はド・マンの記事の「意味を一意に定義」することを明確に拒否している。

 

 かくして、僕たちのデリダ裁判はひとつの判決を出した。僕は判事や証人、検察あるいは弁護人として語ることを拒むつもりはない。だが、どのような批判にせよ、すでにデリダが上訴する可能性がもうないゆえに、この態度は――少なくともデリダの目には――誠実さに欠けているように見えるかもしれない。

*1:学部時代唯一単位を落としたのがフランス語である。起床が無理だった。

*2:1987年。この年にはハイデガーとナチズムの関係が問題とされた「ハイデガー論争」も勃発した。両論争において、ハイデガーデリダデリダとド・マンを繋ぐ「脱構築」概念はほとんど言いがかりのような批判を浴びた。

*3:ユダヤ的とされる記事がひとつだけであることはエヴァンズの紹介からもわかる。ただし要検証。

*4:横書きなので、ここでは上。

*5:夏休み中なので大学図書館に寄る機会がない。大阪市内の図書館に一冊存在するらしいので、借り次第追記する。しかし、借金玉氏のエヴァンズと実際のエヴァンズが一致しているかどうかはここではさほど重要でない。

*6:http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/deman.htm

『青色本』読書会レジュメ①

※ページ数はちくま学芸文庫版に対応

 

p.7-8

 Wittgensteinは「語の意味とは何か」という問題に迫るために,まず「語の意味の説明とは何か」を検討すると宣言する.なぜこのような回りくどいことをするのだろうか.Wittgensteinが指摘するように,我々は「名詞があればそれに対応する何かのものを見付けねばこまるという考え」に囚われがちである.例えば,「Aは存在する」という命題(Aは神や他者などの任意の形而上学的対象)を検討するとき,我々はついつい「存在する」という(ここではあまりにもアクロバティックに用いられている)語の意味がこの命題の中ですでに確定されていると考えるか,あるいは「存在する」という語の“本当の意味”がまだわかっていないからこの命題の真偽がわからないのだ,などと考えてしまう.「語の意味」の問題に接近するときにほとんど避けることのできないこれらの混乱を回避するため,Wittgensteinは「語の意味の説明」から間接的に(後にわかるが,じつは直接的に)「語の意味」らしきものを引き出す,という方針を採る.

 

p.8-11

 「語の意味の説明」は,大まかには言葉による定義(翻訳定義)と直示定義(指差し定義)のふたつに分けられるように見える.前者は辞書のようにある未知の表現を別の既知の表現に置き換えることによる説明であるが,直接こちらについて調べても所望の解答は得られなさそうだ.対して,あるものを指差し等で端的に「これ」と指し示すことで意味を与える直示定義のほうは,我々に「語の意味」にかんする知識を与えてくれそうだ.

 しかし,直示定義にはすぐに思い浮かぶ難点がふたつある.ひとつは,「数」「1」「でない」などを直示定義することは難しそうである,ということ.もうひとつは,直示定義は誤解されうる,ということだ.どういうことか.緑色の鉛筆を手に持って「これは鉛筆だ」と説明するときのことを考えてみよう.もし私が「鉛筆」という語をすでに知っているのでなければ,私はこの直示定義を見て,「鉛筆」という語を「緑色」「一本」「木でできている」「固い」「先が尖っている」のように使うかもしれない.

 Wittgensteinはもっとわかりやすい別の例も挙げている.「バンジョー」という語が何を指すのか,知らない人は多いだろう.私がある楽器――音を出す部分は金属と動物の皮,握り手は木で作られていて,そこに5本の弦が張られている――を両手にひとつずつ持って「これはバンジョーだ」と言うとする.その後,私はそれを聞いていたある男に「バンジョーを取ってきてくれ」と頼む.彼は別の弦楽器を持ってくるかもしれないし,もしかしたらふたつのバンジョーを持ってくるかもしれない.ここで注意しなければならないのは,「彼は『バンジョー』に『弦楽器』という解釈を与えた」と言うとき,彼が何かを持ってくる行為とは別に,それとは独立した「解釈する」という行為を想定すべきではない,ということだ.なぜか.それは次の例から類推することができる.

 

p.11-14

 ある人に「赤い花を取ってこい」と命じる.彼はどんな色の花を持ってくればいいのか理解し,「赤い花」を持ってくるだろう.なぜこのようなことができるのだろうか.命令を受けたとき,彼の頭の中に「赤いイメージ」が浮かび,そのイメージといくつかの花を比べ,一致する色のものを取ってくる.素朴にはそう考えられる.しかし,この心的な「赤いイメージ」が「赤い紙」に置き換えられたとしても問題はない.

 ここで彼は(命令を実行するに先立ち)「赤い」という語の「解釈」をしているのだろうか.たんなる記号としての「赤い」とは独立した“「赤い」という語の意味を理解するという心的過程”は,「赤いイメージ」を「赤い紙」に置き換えることで,それが(我々の素朴な言語観に反して)言語の働きにとって本質的ではないということが明らかとなる.

 

p.15-16

 Wittgensteinによると,数学における形式主義に対するFregeの考えは次のように表現できる:数学の命題がもしダッシュ記号の組み合わせ[1]に過ぎないのなら,それらは死んだもので何の興味もない,しかしそれは明らかに一種の生命を持っている.

 数学に限らず,どんな命題[2]でも同じことが言えるだろう.死んだ記号を生きた記号にするためには,たんなる記号とは違った,非物質的ななにかが必要となる.しかし,それが「記号の意味」ではないことは「赤い紙」の例からわかる.心的イメージは肉眼で見られる外的対象に置き換えられるからだ.では記号の生命とはなんなのだろうか.それは記号の使用(use)である.このことは,『青色本』で挙げられる豊富な例を見ることによって徐々に明らかとなっていく.

 

p.17-18

 思考にその独特な性格を与えるのは,「心的状態」のような神秘的なものであるように思える.我々がそう考えてしまいがちなのは,思考が「心」という媒体の中でしか起こらないからだろう.例えば,アメーバが同じような細胞に分裂し,その各々が成長してまた元の細胞と同じようにふるまうのを見たとき,我々はアメーバが奇妙な性質を持つのだと考える.その他にこのようなふるまいを見せる物理的機構を見たことがないため,「アメーバの機構は他とまったく違うものなのだろう」と推測するのである.「心」についての思い込みは,この状況と似ているように見える.

 しかし,この類比にはふたつの――「思考は一連の心的過程である」という,そして「思考は心という媒体の中で起こる」という――誤りが含まれている.「思考」が奇妙に見えるのは,その働きがまだ科学的に説明できないということによるのではない.

 

p.18-19

 心理学的研究によって心の働きを説明するモデルを構成したとする.物理学におけるエーテルの理論が物理学的現象を(因果的に)説明する[3]のと同じく,この心モデルも観察可能な精神活動を説明する(そしてそのためにはひどく複雑で込み入ったものでなければならない).このモデルが複雑であることを以て「心は奇妙な種類の媒体だ」と考えたとしても,それは自然科学の問題でしかない.

 我々の興味の対象は言語の働きと心的作用とのあいだの因果的なつながりではない,ということがわかった.であれば,心の働きはすでに我々の前にあけっぴろげになっているはずだ.我々が思考の本性についての困難がその媒体(すなわち心)の本性の困難さに起因するものだと勘違いしてしまう原因は,言語を神秘的に(アクロバティックに)使うことにある.例えば「時間」について考えるとき,そこになにかまだ見えない新事実があるのではないかという観念に囚われてしまいがちであるが,そんなものがあるわけではない.問題となり得る事実はすべて目の前であけっぴろげになっているにもかかわらず,「時間」という語の神秘的な使用が我々を惑わせるのだ.

 

[1] 黒崎訳では「たんに複雑に書かれたもの」と訳されている.

[2] 真か偽かが定まる文のこと.

[3] 物理学の発展によってエーテルによる物理現象の説明が“間違った”ものであったことがわかった,という事実にも注目しなければならない!

あとは任せたぜスイッチ

 小学四年生のとき、家の前で知らないおじさんから「あとは任せたぜスイッチ」をもらった。それは当時の僕の手のひらにちょうどよく収まる大きさの機械だった。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、君じゃない君に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったら、「あとは任せたぜスイッチ」を押すといい。ちょうど十分後に作動して、君を楽にしてくれる。おじさんは僕にそう教えると、緑色の煙になって、ポワンと消えてしまった。おじさんが消えたあと、好奇心に負けてすぐに「あとは任せたぜスイッチ」を押したが、なにも起きなかった。なあんだ、つまんないな、と思いながら、僕はそのきれいなつや消しブルーの機械を本棚に飾っておくことにした。

 つぎに「あとは任せたぜスイッチ」を押したのは中学三年生のときだった。公立高校の入学試験を二日後に控えた僕は、冗談半分ですっかり埃をかぶった「あとは任せたぜスイッチ」を押してみた。でもやっぱり、なにも起きなかった。僕は五年前と同じようにがっかりして、ウェットティッシュで「あとは任せたぜスイッチ」を清潔な状態にし、もとあった場所へと置いた。

 

 高校受験はあっけなく終わり、僕は家からいちばん近い第一志望の高校に入ることができた。僕は「あとは任せたぜスイッチ」のことなど忘れ、はじめてできた恋人(名前は“やわらかい長方形”という)と、そこそこしあわせな日々を送っていた。

 やわらかい長方形は僕よりも勉強ができた。かばんにはいつも難しい本を何冊か入れていたし、難しい言葉を使わないと会話をすることができないらしかった。やわらかい長方形の話すことはほとんどなにもわからなかったが、僕は彼女の話を聞くのが好きだった。やわらかい長方形には少々情緒不安定なところがあった。僕はやわらかい長方形のことを深く深く愛していたので、そんなことは些細な問題だった。僕たちはうまくやっていた。うまくやっていた。うまくやっていた。

 

 高二の春、やわらかい長方形がよく僕を怒鳴りつけるようになった。やわらかい長方形が難しい言葉ばかり使って怒るので、正確にはよくわからないのだが、どうやら僕が他の女の子と浮気をしているのではないか、と疑っているらしい。もちろん、そんなことはしていない。していない。していない。

 高二の夏、本棚を整理しているとき、肘でうっかり「あとは任せたぜスイッチ」を押してしまった。なにも起きなかった。

 高二の冬、僕は本当に浮気をしてしまった。それは仕方のないことだった。断る方法を知らなかったのだ。弾力のある三角形はいい子だ。だから、弾力のある三角形を悲しませたくなかった。やわらかい長方形にはすぐにばれてしまった。僕は彼女の家に行き、「ごめんなさい」とちょうど千回言って、帰った。やわらかい長方形は泣いていた。もう、やわらかい長方形を泣かせるようなことをするのはやめよう、と思った。弾力のある三角形はそれ以来、僕と会話をしてくれなくなった。目も合わせてくれない。

 高三の春、僕とやわらかい長方形は、放課後の渡り廊下で大喧嘩をした。たまたま近くにいた友達が仲裁をしてくれて、その場はなんとか収まった。その友達は僕を慰めるためにブラックの缶コーヒーをくれた。コーヒーは嫌いだったが、とてもそんなことを言える状況ではなかった。彼は僕を慰めようとしてくれている。いろいろな言葉を、じっくりと考えて、僕にかけてくれる。僕はそのまずい液体を飲み干すのに必死で、なにも聞いていなかった。彼がいなくなると、すぐトイレに駆け込み、嘔吐した。それまでの人生でいちばんの罪悪感が僕を襲った。でも、仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。

 高三の夏、眠ることができなくなったので、インターネットで調べた情報をもとに、薬局で睡眠導入剤を買った。小さな白い錠剤で、口に含むとほんのり甘い味がした。その薬を「天使」と呼ぶことにした。僕は一週間に五回、「天使」を四錠飲んだ。「天使」は少しのあいだ、僕を救済してくれた。

 高三の秋、精神科でよくわからない肩書きをもらった。僕はそのことを誰にも言わないことにした。「天使」はだんだんと効かなくなってきていた。それでも僕は処方された薬を飲まなかった。それらは「天使」のようには甘くなかったからだ。やわらかい長方形と会う時間も体力もどんどんなくなっていった。やわらかい長方形は、毎日十通はメールをするように、と僕に命じた。僕は毎日六通から八通のメールを送った。もちろん、少なすぎると怒られた。僕にはどうすることもできなかった。メール十通ぶんの文章を考えると、僕の貧弱な頭は確実にパンクしてしまうだろう。

 

 やわらかい長方形は、大学入試にすべて落ちてしまった。たぶん、僕のせいだ。僕がきちがいだから、やわらかい長方形は勉強に集中できなかったんだ。僕は滑り止めで受けた私立大学に入ることになった。「天使」はもう完全に効かなくなっていた。

 大学一年目の冬、やわらかい長方形は受話器の向こうでずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。お前が悪いんだ、お前のせいで自分の人生は滅茶苦茶だ、そんなことを言っていたのだと思う。僕は頭が悪いから、難しい言葉ばかり使うやわらかい長方形の言うことがほとんどなにもわからなかった。でも、僕が悪いということだけは、はっきりとわかった。

  僕は「あとは任せたぜスイッチ」を押した。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、僕じゃない僕に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったから、「あとは任せたぜスイッチ」を押した。それはすごく自然なことだ。五秒、六秒、七秒、僕は右耳でやわらかい長方形の悲しい叫びを聞きながら、一秒一秒、ていねいに時間を数えた。

 

 四十秒、四十一秒…………一分………………

 

 

 

 

 

 

 五分………………

 

 

 

 八分三十秒…………八分四十秒…………九分……

 

 

 

 九分五十五秒。

 

 ――じゃあ、あとは任せたぜ。僕じゃない僕。君には、どうかここをうまく切り抜けて、しあわせに暮らしていってほしい! ああ、それともうひとつ。これだけは守ってくれ。やわらかい長方形には、絶対に、絶対に悲し

力学系メモ

 時間 {\displaystyle t} に依存しない函数 {\displaystyle f:\mathbb{R}^{n}⊃W→\mathbb{R}^{n}} を用いて微分方程式 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=f(x)} で表される力学系を自励系という。 {\displaystyle x'=f(x,t)} で表される力学系を非自励系という。ここでは自励系について考える。

 {\displaystyle f( \bar{x} )=0} なる点 {\displaystyle \bar{x}} を平衡点という。微分方程式の解の一意性より、平衡点を通る解は定数函数のみである。
 微分写像ヤコビアンを同一視し、同じ記号で表す。 {\displaystyle x} における微分写像{\displaystyle df_x} と書くことにする。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} における微分写像 {\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で平衡点を分類しよう。固有値の実部がすべてノンゼロであるとき、その平衡点は双曲型であるという。固有値の実部がすべてゼロ、すなわち固有値がすべて純虚数のとき、その平衡点は楕円型であるという。さらに、双曲型平衡点を次の3つに分類する。固有値の実部がすべて負のとき沈点、すべて正のとき湧点(源点)、正のものと負のものが混じっているとき鞍点という。
 沈点の近くの解は指数函数的に沈点に近づく。すなわち、{\displaystyle λ<0} をすべての固有値の実部より小さな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≦Me^{tλ}||x-\bar{x}|| }
が成り立つ。 {\displaystyle φ_{t}(x)}力学系の流れである。
 逆に、湧点の近くの解は指数函数的に湧点から遠ざかる。すなわち、{\displaystyle λ>0} をすべての固有値の実部より大きな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≧Me^{tλ}||x-\bar{x}||}
が成り立つ。

 次に、Lyapunovの意味での安定性を定義する。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、任意の近傍 {\displaystyle N(\bar{x})⊂W} に対し、適当に {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})⊂N(\bar{x})} をとると、そこから出る任意の解 {\displaystyle x(t)}{\displaystyle t≧0} について定義され、{\displaystyle N(\bar{x})} 内に留まることをいう。図で表すと、下のようになる。
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 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が漸近安定であるとは、それが安定であって、{\displaystyle t→\infty }{\displaystyle x(t)→\bar{x}} となるように {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})} がとれることをいう。図で表すと、下のようになる。
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 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、それが安定でないことを意味する。図で表すと、下のようになる。
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 図で{\displaystyle N(\bar{x})} とすべきところを {\displaystyle N(x)} と書いていることに注意。修正するのめんどくさい。

 明らかに沈点は漸近安定であり、湧点は不安定である。次の不安定性定理より、鞍点は不安定であることがわかる。
(不安定性定理){\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で実部が正のものがあれば不安定。
 従って、双曲型平衡点で安定かつ漸近安定でないものは存在しない。楕円型平衡点には安定かつ漸近安定でないものが存在する。例えば、2次正方行列 {\displaystyle A} で定まる力学系 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=Ax} について、{\displaystyle A}固有値が純虚数であるとき原点は楕円型平衡点であり、原点まわりの解は下の図のように流れている。
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 沈点の近くの解に対し、差のノルム {\displaystyle ||x(t)-\bar{x}||} は減少函数として見ることができた。もっと一般的に、Lyapunov函数を構成することで平衡点の安定性を判定することができる。連続函数 {\displaystyle V:N(\bar{x})→\mathbb{R}}{\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}}微分可能であるとする。 {\displaystyle V} が次のふたつを満たすとき、 {\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数という。
{\displaystyle (i)} {\displaystyle V(\bar{x})=0}{\displaystyle x \neq \bar{x}} に対し {\displaystyle V(x)>0}
{\displaystyle (ii)} {\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}} 上で {\displaystyle dV_{x}(f(x))≦0}
 また、 {\displaystyle (ii)} の不等式がイコールを含まないとき、狭義Lyapunov函数という。
 例えば、3次元力学系 {\displaystyle (\frac{dx}{dt},\frac{dy}{dt},\frac{dz}{dt})=(2y(z-2),-x(z-1),xy)} の原点におけるLyapunov函数{\displaystyle V(x,y,z) = x^2 + 4y^2 + 2z^2} で与えられる。ちなみにこの平衡点は安定だが漸近安定ではない。
 Lyapunov函数が構成できれば、次のLyapunovの安定性定理によって平衡点の安定性が判定できる。
Lyapunovの安定性定理){\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数が存在すれば {\displaystyle \bar{x}} は安定。また、狭義Lyapunov函数が存在すれば漸近安定。