ひとなぐりこけし

完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体

なぜサークルクラッシュ同好会はかくもつまらなくなったのか

 この記事はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2017の12日目の記事である。

 

 

 感情、人間関係、社会、その他お前たちがやっているぬいぐるみ遊びではないあらゆる行為、そういったものでお前が終わっていくのを見るのも、苦しんでいるのを見るのも、そろそろやめにしたい。お前たちが大人になっても、あるいはすでに大人であったことを自覚したとしても、僕は、僕だけはただひとり、ぬいぐるみ遊びだけを続けることだろう。お前たちは大人になればいい。大人には老衰があり、必ずしも病気や事故などのアクシデントに限らない死があり、義務があり、子供に毛の生えたような権利を守るために強いられる努力があり、想像力(って何?)の要請がある。そんなくだらないものはすべて、ここで断ち切ろうじゃないか。

 

 

 僕はサークルクラッシュ同好会の会員だったらしい。どこかで入会の意思を表明したわけではないが、「サークルクラッシュ同好会のLINEグループにグロ画像を連投したい」とツイートしたところ、悪ふざけでLINEグループに追加された。それで入会が成立したとのことだ。それからはなんとなく例会に参加するようになり、会員の中でも比較的活動していた(つもりである)。会誌『Circle Crash Lovers Association vol.6』にも「弱者支援の二つのドグマ 序説」という文章を寄稿した。しかし僕は先月、やむを得ずサークルクラッシュ同好会関連のLINEグループすべてを抜け、サークルクラッシュ同好会初代会長であるホリィ・セン(@holysen)のツイッターアカウントをブロックすることとなった(いろいろと不便なので現在は解除している)。その経緯について書こうと思う。「拗らせ自分語り」とかいうよくわからんテーマは無視するとして、少しだけ僕のことについて書いておこう。

 僕はADHDで、自閉症スペクトラムで、鬱病である。2週間に一度カウンセリングを受け、コンサータを処方される。それに加え、輸入したサプリメントを何種類か服用している。つまり、よくいる障害者だ。幸いリストカットなどの自傷癖はないが、僕とその周辺のツイッターアカウントをフォローしている人間なら夏あたりに「左の男は複素数太郎さんといって、████と自殺しようとした数日後に女と遊んでいるみたいです。人生楽しそうですね~」みたいな顔写真付き正義の告発ツイート*1を目にしたかもしれない。この告発には多分に事実誤認が含まれているので真に受けないでほしい(正義の告発氏が入手した写真は酒とデパスで酩酊させられているときに無理やり撮られたものなので記憶にないし、明らかに楽しそうな顔をしていない)のだが、鬱病に起因する強い希死念慮があることにかんしては事実である。今は数学専攻の修士課程1年目で、卒業後どうするかは決めていない。勝手に指導教官の専門とは関係のない分野を研究しているせいで現在所属している研究室に残ることはできないのだが、就活はひとがこわいので不可能であり、企業で被雇用者として生活していくことに意味を感じることが生来まったくできないし、少し接客業をやった結果脳が一生接客ができない構造に変化してしまい、自分が詰みの状態にあることを家族にも話せていない。これくらいでいいだろう。そろそろ「他人語り」をはじめよう。

 

 さて、サークラ同好会と縁を切ったときのことを書こう。あの日、サークラLINEに目を疑うような投稿があった。そこには、サークラ同好会関東支部がメンヘラ.jpと協力して当事者研究を行っているということ、京都にもその活動を広げたいということ、が書かれていた(ように記憶しているが、今はもう確認することができない)。以前からメンヘラ.jpの有害性をしつこく指摘していた僕は、すぐにサークラ同好会関連のすべてのLINEグループを退会した。僕にとってサークラ同好会は、インターネットで着実に影響力を広げていくメンヘラ.jpに対抗し得る数少ない比較的まともな団体だった。しかし、その期待は見当外れなものだったらしい。

 メンヘラ.jpのどこが有害か簡潔にまとめておこう。「メンヘラ」は今や誰もが知るネットスラングである。原義は「2ちゃんねる*2メンタルヘルス板にいるような人」、すなわちメンヘル(板)-erだ。大まかに境界性パーソナリティ障害あるいは双極性障害の特徴を持つ人間の呼称として使われるという緩い共通性はなくもないが、もはや辞書的に説明できるような意味が存在しないバズワードと化している。「メンヘラ」という語はその原義と使用の曖昧化の過程から、どうしてもスティグマとしての機能を持たざるを得ない。この語が使われるときはほとんどの場合に侮蔑か自虐の意図を含むこととなる。そうでない場合、メンヘラ的アイコンやメンヘラ的行動などにオシャレさを感じて使う、ということも考えられる。実際、はるしにゃんやメンヘラ神ことかすうさ氏らのツイッター上および文学フリマにおける活動はそのような使用を促進した。僕も彼らと近い位置にいた人間のひとりなので、お前もメンヘラのコンテンツ化に貢献しただろうと批判されるかもしれないが、今はそういった活動への参加は控えているので見逃してほしい。僕は反治療文化の立場にいるので、自分の属性を肯定的に捉えることについてはそれが境界性パーソナリティ障害などの精神疾患であっても否定すべきではないと思っている。しかし、この場合は必ずしも「自分の属性」を魅力として捉えているわけではなく、世間の曖昧な「メンヘラ」イメージを自分の近傍10メートル程度の解釈を通してできたキラキラの「テンプレート」を身に纏っているに過ぎないという点で、手放しに称賛すべき自己表現ではないとも言える。それは自己ではない。「メンヘラ」という語の取り扱いには細心の注意が払われなければならない。そんな曖昧なネットスラングである「メンヘラ」で、多様な生きづらさを抱えている人間たちを集めると何が起こるか。個々の特性は上書きされ、生きづらさの本来の原因は覆い隠され、最悪の場合、スティグマとしての「メンヘラ」の問題を自分の問題と同一化してしまうかもしれない。よほどうまくやれば、もしかすると「メンヘラ」という語を使いつつも慎重に個人の問題と向き合うような活動は可能かもしれないが、メンヘラ.jpを運営するわかり手ことオマテキ(お前の敵)こと小山氏は――僕が他者をこんなふうに罵ることはほとんどないが、彼だけはさすがにこう形容するほかないだろう――今から改善するには遅すぎるほど頭が悪い。その程度は僕への「心中しようとした人間に言われたくない。病気を放置するとそういうことをやるからやっぱり治療すべき」「精神疾患のある人間に論理をぶつけると症状が悪化するから良くないな」(消えてしまったので正確には思い出せないが、だいたいこのような内容)という心無い罵倒からも窺い知れる。もうどうしようもないのだ。

 ここまででメンヘラ.jpが抱える有害性の半分を説明した。もう半分は、僕がずっと批判し続けている「治療文化」に関係する。オマテキおよびホリィ・センが治療文化を否定しないことは(前者はツイッターで、後者は直接)確認済みである。治療文化批判の詳細な話はサークラ会誌掲載の「弱者支援の二つのドグマ」を参照してほしい。治療文化の最終目標は障害特性のジェノサイドであり、そのような優生学的思想に基づく“支援”活動には抵抗していかなければならない。にもかかわらず、サークラ同好会関東支部はメンヘラ.jpと結託し、あろうことかその活動を京都にまで持ち込もうとしたのだ。もはやどこにも救いはない。

 ホリィ・センの信じがたい“鈍さ”に失望したことも、サークラ同好会を抜けることになった大きな理由である。メンヘラ.jpと手を組むという時点で相当に感度が鈍っていると判断せざるを得ないが、それでも先述の投稿だけでは退会の決め手にはなっていなかったかもしれない。せっかく会長が変わったのにまだ彼が影響力を持っているのではサークラ同好会も長くは続くまい。サークラ同好会はサクラ荘というシェアハウスを何軒か運営している。以前、サークラ同好会会員が女性専用シェアハウスを作るといってツイッター上で宣伝を行っていた。おそらく「女性」で意図する対象は陰茎の有無で男女を分けたときの「非陰茎所持者」だろう*3。ホリィ・センはなんの疑問も抱かずにそれをリツイートして拡散に協力していた。社会科学系サークルの会長ともあろう者が、共同生活という繊細な問題において慎重であらねばならない女性/男性の区分をこうも乱暴に扱った募集に手を貸すのはいかがなものか。「サークルクラッシャー診断アプリ」という驚くべき企画がホリィ・センの確認を経たうえで通ったことも記憶に新しい。僕はこれを即刻公開中止にすべきだと考えている。「サークルクラッシュ同好会」という団体名からしてかなり危ういのだから、そういうことにはもっと気をつけてほしいものだ。会長の“鈍さ”を垣間見せるような事例の積み重ねが、着実に僕の中のサークラ同好会への失望の芽を育てていったのだ。

 

 僕の見たところ、サークラ同好会にはもうひとつ問題がある。それは性愛中心主義にかんするものだ*4サークラ同好会はその成立からして「性」を扱うサークルである。そこで行われる議論が性愛中心主義からスタートすることはある程度仕方のないことであると言える。しかし、それはあくまでも重心がサークルクラッシュ現象の研究にあった時代の話だ。現在、サークルクラッシュ現象は明らかに団体として取り組んでいる主要テーマではない。少なくとも例会では人間関係の問題全般・個々人の生きづらさについて考える活動のほうが多いように見える。というか、普段の活動で性愛中心主義に基づいた活動をしているところを見たことがない(参加者が結果的に性の話をすることはあるが、必ずしもそうならない十分な自由度が確保されている)。にもかかわらず、NFでの呼び込み・勧誘は「恋愛」をプッシュしたものであったし、会誌は「僕たちに恋人・友人ができない理由」(水上文人)、「喪失」(名称未定のユーレイさん)、「他の男とはセックスしてるクセに俺にはヤらせてくれない女が憎い」(ホリィ・セン)、「サークルクラッシャー診断アプリ」(桐生あんず)と性っぽいコンテンツが多い。中身もかなり危ないものがある。「“メソッド”としてのサークルクラッシュ同好会」(FJ-T)には以下のような記述がある。

誤解・偏見を恐れずに言えば「女の子は彼氏のことで拗らせ、男の子は彼女がいないことで拗らせている」のがサークルクラッシュ同好会なのである。

これは僕の短い在籍期間における実感からは解離している。紙面では「非モテ」という言葉が頻出するにもかかわらず、実際に非モテ言説のやっていきをやっていっているのは一部の会員だ。性愛中心主義の内部で悩んでいるわけではない会員もいる。僕も主に「自閉症」について言ったり書いたりして活動していた。彼ら*5サークラ同好会の「人間関係一般や個々の生きづらさについて考える」という側面に魅かれて入会したのだろう。実際、活動のある部分は彼らにとって有用なものとなり得るような内容だ。一方で、サークラ同好会の根底にあるイデオロギーは依然として性愛中心主義のままだ。それはサークラ同好会の表層しか見ていないからだ、と言われるかもしれないが、ここで最も重要なのは表層である。およそなにかがなにかに影響を与えるとき、最もよく働くのはその表層だ。比較的よく顔を出していた僕からでも、少なくともそのように見える、という点がたいせつなのだ。僕がいちばん恐れているのは、このイデオロギーが本来べつの苦しみを抱えている人間の直面する問題を上書きし、不要な性愛の苦しみを植え付けることになるのではないか、ということである。自閉症鬱病など、あるいは精神疾患でもないなにかべつの要因で生きづらさを抱えている人間に「自分はモテないから苦しいのだ」と思わせてしまいかねない。これはたいへん危険なことだ。

 

 というわけで、僕の中のサークラ同好会への期待はほとんど失われてしまった。僕はこの状態を「つまらない」と呼ぶことにしよう。なぜサークルクラッシュ同好会はかくもつまらなくなったのか。それは、拡大していくサークラ同好会の現状ともはや逃れられないポリティカル・コレクトネスへの責任を認識できないホリィ・センの“鈍さ”、性愛中心主義に基づくたんなるホモソーシャルの再生産から逸脱できない表層のコントロール不全が原因である。

 

 

 このあたりで記事を終えて、13日目の小林通天閣(@kobashowww)に繋ぐ。

*1:今回の話とは関係ないが、正義の告発氏がサークルクラッシュ同好会やその周辺の活動に参加するようになったので大阪・京都に極めて居づらい状況にある。

*2:現5ちゃんねる

*3:しかし、この区分を明記したとしてもまだ問題がある。

*4:こんなくだらないエクスキューズをするのは避けたかったのだが、ちょっと弁明しておこう。ツイッターで僕の様々な醜聞を目にした読者諸氏は、お前が性愛中心主義を批判できる立場なのかと言うかもしれない。しかし、某北大生らが吹聴しているようなスキャンダルはすべてデマであると、ここではっきり宣言しておこう。

*5:彼ら/彼女らという言い方で性別を指定したくないので、「男性」を含意せず「彼ら」で統一する。