ひとなぐりこけし

完全な球体と屋根の上に降り積もる女の子のやわらかい死体

多賀宮氏によるアカハラについて

ㅤAcademic Harassmentは通常、教職員によるハラスメントを指す語だが、ここでは相手が哲学専攻の博士課程、こちらが非哲学専攻(Laruelle的な話ではない)の修士課程在学中とかなり明確な力関係があることからあえて“アカハラ”という語を使用する。また、僕がまだ問題を現実世界まで広げる必要を感じていないこと、double-blind方式で査読中の論文に言及すること、などを踏まえて詳細な情報には言及しない。まあ、インターネットで同じ名前を使いづらくなるというだけで現実的には痛くも痒くもないだろうから、こちらで特に手続きなどを経ずに、もうやってしまうことにする。今後こちらに少しでも不利益が生じた場合、正当な手続きを経たうえで現実世界における行動を開始する。

多賀宮*1とは今年の春から夏にかけて論理学の勉強会(といっても命題論理の完全性や演繹定理を証明するくらいのことしかやらない)をしていた。しかし、僕が「ムカついたら相手が誰であろうと全力で対抗する」という身内にいると政治的にたいへん厄介な気質を持っているため、ここ数ヶ月は彼と疎遠になっていた。彼の度重なる忠告を無視し、僕はあらゆる人間にマジレスを浴びせ続ける自閉症ムーヴを繰り返した。

ㅤまだ多賀宮氏と交流があった頃、彼から「研究している分野に確率論が使われているから教えてほしい」という連絡がきた。僕たちはStanford Encyclopedia of Philosophyのあるページを読みながらLINE通話をした。そこに書かれていることについて、主に僕が過去の議論をその場で把握するため、そして彼に確率論の基礎を教えるための簡単な話し合いはあったが、その内容はWebサイトに書かれていることを一切超えていない。ここで行われている議論はおよそ20年前から続くものであり、(何年前であろうとここまでおおっぴらにアクセスが許されているなら当然そうなのだが)じゅうぶんに公共的な問いであると言えよう。日本語で書かれた文献がザッと調べた限りでは見つからないという状況ではあったという点でメジャーとは言い難いことは確かである。だが、その程度の些細なことが問うことそれ自体の公共性をいささかも毀損することはないと、どの学問分野であろうと多くの研究者が同意することだろう。僕もそれでどれだけ苦労してきたことか……。また、僕に紹介した時点およびその少し後に京都で直接話したとき、彼が過去の議論を僕より有意に深く理解していたかは、正直なところかなり疑問がある。少し後にそのWebサイトに書かれていた内容に関係する記述のある学振書類のチェックも頼まれた。僕は素直に読んで「数学的によくなさそうなところ」と「素人から見るとよくわからないところ」を二、三指摘した(ように思う)。あまり詳細は覚えていない。今回投稿した論文に(先述のWebサイトですでにまとめられていること以外には)その学振書類でのサーヴェイと内容を共有しているところはない、ということは多賀宮氏も否定できないだろう。僕は投稿した論文を“投稿直後に”多賀宮氏へ直接手渡したのだから、アカハラ事案発生時点までのあいだに全文読んでいるはずであり、そんなことは彼もわかっているはずである*2。ここまでで重要なのは、多賀宮氏の寄与は「ある(有名な)Webサイトの特定のページのURLを教えたこと」だけである、ということだ。ここに書かれていない先行研究については自分で資料を集めて補完した。

ㅤ今月はじめ、久しぶりに多賀宮氏と直接会う機会があり、同じジャーナルに論文を投稿していたことを互いに確認した。僕はちょうどそのジャーナルを発行している学会に入ったばかりだったので、せっかくなので手持ちのネタを送ってみることにしたのだ。そのネタは件のWebサイトを見てから断続的に研究していたもので、だいたい次のような方針のものである。ある研究者はこの営みをすることそれ自体を批判している。その根拠は5つある。僕はそのうち4つを解消する手続きをアルゴリズムの形で提示し、残りひとつへの対処法も簡単に仄めかした。また、超準解析を使うことで概念をより日常的な感覚に沿ったものへと近づけることができるのではないか、というべつの主張も短く展開した。この“方針”が多賀宮氏の研究とは独立しているということは明らかである。この点に関してさすがに関係者の誰も異論はないと信じたい。問題は、ある哲学的概念を数学の言葉で表現したい、という問い自体が自分のパクリなんじゃないか、と彼が考えているところである。なぜ20年近くも前から議論されていることについて、たんにその紹介を(じゅうぶんに理解することもなしに)しただけである彼の了承を得なければ公表することができないのだろうか。僕にはまったくその理由がわからない。

ㅤ僕が東京の研究集会での発表から帰ってきた直後、多賀宮氏から“忠告”があった。その発表のハンドアウトを読み、僕が投稿した論文に関係する内容が(最後のページにほんの少し)書かれていたのを見たのがきっかけらしい。そのマイナー分野の研究を勝手に公表することはグレーな行為である、という主旨だった。それだけなら、冷静にこれまでの経緯を思い出してもらって認識を正すことで丸く収まったのだが、残念ながら彼は次のことを付け加えてしまった。自分は周囲の研究者にもこの話をして、皆が自分と同じ考えであることを確認済みであるが、自分が何かアクションを起こすことは、今回はない。哲学コミュニティで僕よりもずっと顔が広く、けっして無名ではない大学ですでに博士課程の学生として精力的に活動している彼が、そう言ったのだ。これは“脅迫”と捉えざるを得ない。彼がどれだけ詳細に今回のことを周囲に話しているかは知らないが、少ない情報でも状況などから僕を特定することは容易であると考えられる。したがって、僕はすでに不当に名誉を一定まで毀損されていると考えていいだろう。そして、彼は僕をいつでも哲学コミュニティに居づらくすることができるのだ。僕はこれからそういう恐怖を感じながら研究を続けていかなければならない。これをアカハラと呼ばずになんと呼べばいいのだろう。百歩譲って、WebサイトのURLを教えてくれた(というだけの)ことに対する感謝を込めて投稿前に一言礼を言うことは、アカデミアであることとは独立によいことであるとしよう。しかし、それはあくまでも彼の言うような「研究の作法」とはまったく関係のないことである。Webサイトに書かれていることをただ一緒になぞるだけのことに新規性などない。そのうえ、あくまでも友人として一言入れることすら困難にしたのは、アカデミアにおいて政治的に厄介者である僕から自主的に離れていった多賀宮氏自身ではないか。彼がまだ研究を大々的に公表していない以上、参考文献として挙げることもできない。もうひとつ加えておこう。彼は僕が自力ではその分野にたどり着けなかっただろうとタカをくくっていたが、この分野で比較的多く成果を出しているある研究者は、超準解析にかんする論文も書いている。すなわち、少なくともその研究者の論文を読む理由が僕にはある。そのことは多賀宮氏に渡した論文でも言及されている。そのうえでのこの発言である。最初から最後まで言い掛かりであると判断せざるを得ない。

ㅤ僕はこれからもこの分野で論文を投稿していくだろうし、そのことについていちいち多賀宮氏の了承を得ることはない。必要とあらば彼の論文等を参考文献として挙げることもあるかもしれないが、それは本当に必要となったときだけである。つまり、今後も普通にやっていく。

*1:https://twitter.com/intent/user?user_id=402650297

*2:対して、僕は多賀宮氏が投稿した論文の内容をまだ知らない。