展覧会「おまーじゅじゅじゅ」及び第五回文学フリマ大阪にて『グッバイグーグルアイ』販売

 8月31日(木)~9月3日(日)に新世界のギャラリー1616で開催される展覧会「おまーじゅじゅじゅ!お前と12人のSUMMER」にて、文芸サークル青本舎から発行される記念すべき1冊目『グッバイグーグルアイ』を物販コーナーに置く予定です。こちらは印刷の状況などにより変更となる場合があります。僕の絵も2枚展示されるのでぜひ寄ってってください。

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 また、9月18日(月)の第五回文学フリマ大阪青本舎ブース(D-53)でも『グッバイグーグルアイ』を頒布します。その他にもサークルクラッシュ同好会会誌Vol.5.5なども委託販売します。

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 本誌の奥付には「インターネット大倫理文学 第1巻」と書かれています。当然、第2巻も第3巻も発行します。第2巻は2018年1月21日(日)に開催される第二回文学フリマ京都でのお披露目を目標として制作中です。もうしばらくお待ちください。

 

グッバイグーグルアイ コンテンツ一覧

小説

・国境線上の男 複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)

・光の空降るエンドロール 四流色夜空(@yorui_yozora)

短歌

・飛縁魔 寺村たこ(@tacolinus2)

・アングラ・ピープル・サマー・ホリデイ かみしの(@KamisinOkkk)

・静かな生活 リスカちゃん(@honenoumi)

mind map

夢日記 宇田川(@ijafad)

 

表紙 複素 数太郎

裏表紙 しずまうに(@CZ6Au2)

「ポール・ド・マン論争」論争にかんするメモ

 発端は借金玉(@syakkin_dama)氏の以下のツイートである。

好きなデリダですが、ポール・ド・マンが昔コソっとナチってたのが死後バレてシバいていく方針になったときに「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」ってキレて「おまえの理屈で考えてそれ無理筋だろ」って怒られたデリダです。

 

「まー、長い人生ナチってしまうこともあるよ。それはともかくあいつええもん書いてるだろ」くらいの穏当な反論をすればよかったんだけど、「あれはそういう意味じゃないんだ!」っていったので、ここぞとばかりにシバかれた。何せ、発話の意味を一意に定義するってのはデリダの思想とは相性悪い。

 「デリダがそんなこと言うか?」と思ったのと、以前高橋哲哉デリダ』でまったく違う解説を見た記憶があったのとが僕のソーカル魂を呼び起こしたので検証することにした。デリダポール・ド・マン論争に言及したテクストは J. Derrida, Like the Sound of the Sea Deep within a Shell: Paul de Man's War, Critical Inquiry, Vol.14, No.3, (1988), 590-652. くらいしか知らないので、こいつを読めばいいのだと思う。申し訳ないがフランス語は苦手*1なので Peggy Kamuf 訳を参照することを許してほしい。この記事で挙げられるテクストはすべて和訳あるいは英訳のみの確認にとどまっている。

 まず、高橋哲哉氏の解説を見ておこう。少し長いが、引用する。注は引用者によるもの。

ポール・ド・マン論争は、同年*2一二月、今度はアメリカではじまった。脱構築批評の第一人者ポール・ド・マンが、一九四一年から四二年にかけて、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで親ナチの新聞に寄稿していたこと、記事の一つ*3は明らかに反ユダヤ主義的主張を盛っていることが、ベルギー人研究者の調査で判明し、『ニューヨーク・タイムズ』の一面記事で報道されたのである。ド・マンはすでに八三年に死去し、デリダはやがて『記憶=回想――ポール・ド・マンのために』(一九八八)に収められることになる追悼講演や講義をしていた。「アンチ脱構築の役人たち」にとっては、千載一遇のチャンス到来である。ハイデガーのケースと同じく、「下手人」の亡霊を悪魔祓いしようとする攻撃が開始され、若きド・マンのナチ協力と渡米後の沈黙が、脱構築の倫理的不健全さと政治的いかがわしさの疑う余地なき証拠とされた。ナチ=ド・マン=デリダの連想の成立である。これに対してデリダは、覇権下でのヨーロッパ新秩序、フラマン・ナショナリズムといった全体主義的諸要素も広範に見られることを基本的に承認し、「苦痛に満ちた驚き」を味わったとしながらも、ド・マンのテクストはけっして単純に等質的ではなく、そこには右*4の諸要素をみずから裏切るような諸契機も同様に存在する、と主張する。そして、その後のド・マンが完全に手を切った二〇歳台はじめの過ちを理由に、ド・マンの業績全体と脱構築をも葬り去ろうとすることは断じて容認できない、と応じたのである。

 ド・マンの記事を読んでいないのであまり踏み込んだことは言えないが、しかしこれが本当ならデリダの主張としてまったく違和感なく読むことができる。なんらかのルートでデリダに触れたことのある方々は「(少なくとも形式的には)一定の譲歩をしつつも、そこにはべつの可能性がつねにつきまとうということを示す」というやり方を何度か見た覚えがあるだろう。デリダは自分の哲学的手法の厄介さを自覚していた。その態度は例えば彼の著作 Histoire du mensonge: Prolégomènes の終盤などでうかがい知ることができる。だからデリダが先のツイートのような形で雑に自分の言説に絡めとられるという状況があまり想像できないのだ。

 借金玉氏が根拠としているテクストはエヴァンズの In Defence of History である。エヴァンズによる論争の紹介はまだ確認していない*5が、塩川伸明氏のサイト*6にまとめられているようなので、ここを参照してほしい。

 

 さて、デリダが「よく読めよ!どうみたってこれはナチに反対するアレだろ!読めよ!」と言ったのかを見てみよう。当該誌のp.600及びp.601から引用する。

 My feelings were first of all that of a wound, a stupor, and a sadness that I want neither to dissimulate nor exhibit. They have not altogether gone away since, even if they are joined now by others, which I will talk about as well. To begin, a few words about what I thought I was able to identify at first glance but a glance that right away gave me to see, as one should always suspect, that a single glance will never suffice―nor even a brief series of glances.

 ド・マンの“反ユダヤ的”記事を読み、デリダは深く傷ついたという。そして、その気持ちは今でも完全には去っていない。ド・マンの記事に悪い部分があることを認めたという点では高橋氏の説明と一致する。しかしここでデリダは「怪しむべき」と留保しているから、早まらずに注意して読み進めなければならない。なぜ傷ついたのか。彼は3つの理由を挙げる。

 A painful surprise, yes, of course, for three reasons at least: (1) some of these articles or certain phrases in them seemed to manifest, in a certain way, an alliance with what has always been for me the very worst; (2) for almost twenty years, I had never had the least reason to suspect my friend could be the author of such articles (I will come back again to this fact); (3) I had read, a short while earlier, the only text that was accessible to me up until then and that was written and signed by Paul de Man in Belgium during the war. Thomas Keenan, a young researcher and a friend from Yale who was preparing, among other things, a bibliography of de Man, had in fact communicated to me, as soon as he had found it in Belgium, the table of contents and the editorial of an issue from the fourth volume of a Brussels journal in which de Man had published his first writings. He had been a member of the editorial committee, then director of this journal, Les Cahiers du Libre Examen, Revue du cercle d'étude de l'Université Libre de Bruxelles, founded in 1937. Now, what did this editorial say in February 1940, at the point at which de Man had just taken over the editorship, in the middle of the war but right before the defeat? Without equivocation, it took sides against Germany and for democracy, for "the victory of the democracies" in a war defined as a "struggle ... against barbarity." This journal, moreover, had always presented itself as "democratic, anticlerical, antidogmatic, and antifascist." Here then are three reasons to be surprised by the texts dating from the following year and that I discovered with consternation.

 ひとつ目の理由。この記事にはいつもデリダにとって最悪だったものとの同盟関係が現れているらしいこと。すなわち全体主義である。ふたつめの理由。デリダはド・マンがこのような記事を書くなどと疑ったこともないこと。そして、ド・マンが問題の記事を書くほんの少し前に「民主主義に賛成する」テクストを発表していたこと。

 But I said that right away I had to complicate and differentiate things, as I will have to do regularly. My surprise did not come all at once. Even as I reassured myself ("good, during his Belgian youth that I know nothing about, Paul was, in any case, on the 'right side' during the war!"), what I had quickly read of this editorial left me with an uneasy feeling and an aftertaste. In passing, but in a clearly thematic fashion, I was able to identify their source. And here we approach the heart of the problems we have to talk about. They are not only Paul de Man's problems, but those of the equivocal structure of all the politico-philosophical discourses at play in this story, the discourses from all sides. Today, yesterday, and tomorrow―let the dispensers of justice not forget that!

 right side は「正しい側」と「右側」をかけた言葉遊びだ。デリダはド・マンの記事から自らが読み取ったものに不安を感じた。彼は不安の出所が「我々が話題にしなければならない諸問題」であることを突き止めたという。その諸問題はド・マンだけではなく、この物語のなかを浮遊しているすべての政治的、そして哲学的論説――あらゆる側からの論説――の両(複)義的な構造の問題である。

 以降、デリダはド・マンのテクストから「上の諸要素をみずから裏切るような諸契機」を抽出していく。ここで問題となるのは、借金玉氏が言うようにデリダがド・マンの記事の「意味を一意に定義」しているか否かである。ド・マンの記事を読んでデリダが感じた気持ちが「今でも完全には去っていない」こと、そしてデリダがあくまでも equivocal と表現していることが解答であると言ってしまっても良さそうだが、もう少し本文を拾っておこう。p.631から引用する。

 Through the indelible wound, one must still analyze and seek to understand. Any concession would betray, besides a complacent indulgence and a lack of rigor, an infinitely culpable thoughtlessness with regard to past, present, or future victims of discourses that at least resembled this one. I have said why I am not speaking here as ajudge, witness, prosecutor, or defender in some trial of Paul de Man. One will say: but you are constantly delivering judgments, you are evaluating, you did so just now. Indeed, and therefore I did not say that I would not do so at all. I said that in analyzing, judging, evaluating this or that discourse, this or that effect of these old fragments, I refused to extend these gestures to a general judgment, with no possibility of appeal, of Paul de Man, of the totality of what he was, thought, wrote, taught, and so forth.

 デリダは「ド・マンの裁判において私は判事や証人、検察あるいは弁護人として語っているのではない」という。しかし「お前は絶えず判決を、そして価値判断を下している」と言う者もいるだろう。デリダはこう弁明する。「そのようなことをまったくしないつもりだとは言っていない。こう言ったのだ。この論説やあの論説、これらの過去の断片のこの効果やあの効果、そういったものの分析・判決・価値判断において、ド・マンが存在したり、考えたり、書いたり、教えたり等々の全体によって上訴する可能性がもうないゆえに、私はこうした身ぶりを一般的な判断に拡張することを拒んだ」。彼はド・マンの記事の「意味を一意に定義」することを明確に拒否している。

 

 かくして、僕たちのデリダ裁判はひとつの判決を出した。僕は判事や証人、検察あるいは弁護人として語ることを拒むつもりはない。だが、どのような批判にせよ、すでにデリダが上訴する可能性がもうないゆえに、この態度は――少なくともデリダの目には――誠実さに欠けているように見えるかもしれない。

*1:学部時代唯一単位を落としたのがフランス語である。起床が無理だった。

*2:1987年。この年にはハイデガーとナチズムの関係が問題とされた「ハイデガー論争」も勃発した。両論争において、ハイデガーデリダデリダとド・マンを繋ぐ「脱構築」概念はほとんど言いがかりのような批判を浴びた。

*3:ユダヤ的とされる記事がひとつだけであることはエヴァンズの紹介からもわかる。ただし要検証。

*4:横書きなので、ここでは上。

*5:夏休み中なので大学図書館に寄る機会がない。大阪市内の図書館に一冊存在するらしいので、借り次第追記する。しかし、借金玉氏のエヴァンズと実際のエヴァンズが一致しているかどうかはここではさほど重要でない。

*6:http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/deman.htm

『青色本』読書会レジュメ①

※ページ数はちくま学芸文庫版に対応

 

p.7-8

 Wittgensteinは「語の意味とは何か」という問題に迫るために,まず「語の意味の説明とは何か」を検討すると宣言する.なぜこのような回りくどいことをするのだろうか.Wittgensteinが指摘するように,我々は「名詞があればそれに対応する何かのものを見付けねばこまるという考え」に囚われがちである.例えば,「Aは存在する」という命題(Aは神や他者などの任意の形而上学的対象)を検討するとき,我々はついつい「存在する」という(ここではあまりにもアクロバティックに用いられている)語の意味がこの命題の中ですでに確定されていると考えるか,あるいは「存在する」という語の“本当の意味”がまだわかっていないからこの命題の真偽がわからないのだ,などと考えてしまう.「語の意味」の問題に接近するときにほとんど避けることのできないこれらの混乱を回避するため,Wittgensteinは「語の意味の説明」から間接的に(後にわかるが,じつは直接的に)「語の意味」らしきものを引き出す,という方針を採る.

 

p.8-11

 「語の意味の説明」は,大まかには言葉による定義(翻訳定義)と直示定義(指差し定義)のふたつに分けられるように見える.前者は辞書のようにある未知の表現を別の既知の表現に置き換えることによる説明であるが,直接こちらについて調べても所望の解答は得られなさそうだ.対して,あるものを指差し等で端的に「これ」と指し示すことで意味を与える直示定義のほうは,我々に「語の意味」にかんする知識を与えてくれそうだ.

 しかし,直示定義にはすぐに思い浮かぶ難点がふたつある.ひとつは,「数」「1」「でない」などを直示定義することは難しそうである,ということ.もうひとつは,直示定義は誤解されうる,ということだ.どういうことか.緑色の鉛筆を手に持って「これは鉛筆だ」と説明するときのことを考えてみよう.もし私が「鉛筆」という語をすでに知っているのでなければ,私はこの直示定義を見て,「鉛筆」という語を「緑色」「一本」「木でできている」「固い」「先が尖っている」のように使うかもしれない.

 Wittgensteinはもっとわかりやすい別の例も挙げている.「バンジョー」という語が何を指すのか,知らない人は多いだろう.私がある楽器――音を出す部分は金属と動物の皮,握り手は木で作られていて,そこに5本の弦が張られている――を両手にひとつずつ持って「これはバンジョーだ」と言うとする.その後,私はそれを聞いていたある男に「バンジョーを取ってきてくれ」と頼む.彼は別の弦楽器を持ってくるかもしれないし,もしかしたらふたつのバンジョーを持ってくるかもしれない.ここで注意しなければならないのは,「彼は『バンジョー』に『弦楽器』という解釈を与えた」と言うとき,彼が何かを持ってくる行為とは別に,それとは独立した「解釈する」という行為を想定すべきではない,ということだ.なぜか.それは次の例から類推することができる.

 

p.11-14

 ある人に「赤い花を取ってこい」と命じる.彼はどんな色の花を持ってくればいいのか理解し,「赤い花」を持ってくるだろう.なぜこのようなことができるのだろうか.命令を受けたとき,彼の頭の中に「赤いイメージ」が浮かび,そのイメージといくつかの花を比べ,一致する色のものを取ってくる.素朴にはそう考えられる.しかし,この心的な「赤いイメージ」が「赤い紙」に置き換えられたとしても問題はない.

 ここで彼は(命令を実行するに先立ち)「赤い」という語の「解釈」をしているのだろうか.たんなる記号としての「赤い」とは独立した“「赤い」という語の意味を理解するという心的過程”は,「赤いイメージ」を「赤い紙」に置き換えることで,それが(我々の素朴な言語観に反して)言語の働きにとって本質的ではないということが明らかとなる.

 

p.15-16

 Wittgensteinによると,数学における形式主義に対するFregeの考えは次のように表現できる:数学の命題がもしダッシュ記号の組み合わせ[1]に過ぎないのなら,それらは死んだもので何の興味もない,しかしそれは明らかに一種の生命を持っている.

 数学に限らず,どんな命題[2]でも同じことが言えるだろう.死んだ記号を生きた記号にするためには,たんなる記号とは違った,非物質的ななにかが必要となる.しかし,それが「記号の意味」ではないことは「赤い紙」の例からわかる.心的イメージは肉眼で見られる外的対象に置き換えられるからだ.では記号の生命とはなんなのだろうか.それは記号の使用(use)である.このことは,『青色本』で挙げられる豊富な例を見ることによって徐々に明らかとなっていく.

 

p.17-18

 思考にその独特な性格を与えるのは,「心的状態」のような神秘的なものであるように思える.我々がそう考えてしまいがちなのは,思考が「心」という媒体の中でしか起こらないからだろう.例えば,アメーバが同じような細胞に分裂し,その各々が成長してまた元の細胞と同じようにふるまうのを見たとき,我々はアメーバが奇妙な性質を持つのだと考える.その他にこのようなふるまいを見せる物理的機構を見たことがないため,「アメーバの機構は他とまったく違うものなのだろう」と推測するのである.「心」についての思い込みは,この状況と似ているように見える.

 しかし,この類比にはふたつの――「思考は一連の心的過程である」という,そして「思考は心という媒体の中で起こる」という――誤りが含まれている.「思考」が奇妙に見えるのは,その働きがまだ科学的に説明できないということによるのではない.

 

p.18-19

 心理学的研究によって心の働きを説明するモデルを構成したとする.物理学におけるエーテルの理論が物理学的現象を(因果的に)説明する[3]のと同じく,この心モデルも観察可能な精神活動を説明する(そしてそのためにはひどく複雑で込み入ったものでなければならない).このモデルが複雑であることを以て「心は奇妙な種類の媒体だ」と考えたとしても,それは自然科学の問題でしかない.

 我々の興味の対象は言語の働きと心的作用とのあいだの因果的なつながりではない,ということがわかった.であれば,心の働きはすでに我々の前にあけっぴろげになっているはずだ.我々が思考の本性についての困難がその媒体(すなわち心)の本性の困難さに起因するものだと勘違いしてしまう原因は,言語を神秘的に(アクロバティックに)使うことにある.例えば「時間」について考えるとき,そこになにかまだ見えない新事実があるのではないかという観念に囚われてしまいがちであるが,そんなものがあるわけではない.問題となり得る事実はすべて目の前であけっぴろげになっているにもかかわらず,「時間」という語の神秘的な使用が我々を惑わせるのだ.

 

[1] 黒崎訳では「たんに複雑に書かれたもの」と訳されている.

[2] 真か偽かが定まる文のこと.

[3] 物理学の発展によってエーテルによる物理現象の説明が“間違った”ものであったことがわかった,という事実にも注目しなければならない!

あとは任せたぜスイッチ

 小学四年生のとき、家の前で知らないおじさんから「あとは任せたぜスイッチ」をもらった。それは当時の僕の手のひらにちょうどよく収まる大きさの機械だった。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、君じゃない君に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったら、「あとは任せたぜスイッチ」を押すといい。ちょうど十分後に作動して、君を楽にしてくれる。おじさんは僕にそう教えると、緑色の煙になって、ポワンと消えてしまった。おじさんが消えたあと、好奇心に負けてすぐに「あとは任せたぜスイッチ」を押したが、なにも起きなかった。なあんだ、つまんないな、と思いながら、僕はそのきれいなつや消しブルーの機械を本棚に飾っておくことにした。

 つぎに「あとは任せたぜスイッチ」を押したのは中学三年生のときだった。公立高校の入学試験を二日後に控えた僕は、冗談半分ですっかり埃をかぶった「あとは任せたぜスイッチ」を押してみた。でもやっぱり、なにも起きなかった。僕は五年前と同じようにがっかりして、ウェットティッシュで「あとは任せたぜスイッチ」を清潔な状態にし、もとあった場所へと置いた。

 

 高校受験はあっけなく終わり、僕は家からいちばん近い第一志望の高校に入ることができた。僕は「あとは任せたぜスイッチ」のことなど忘れ、はじめてできた恋人(名前は“やわらかい長方形”という)と、そこそこしあわせな日々を送っていた。

 やわらかい長方形は僕よりも勉強ができた。かばんにはいつも難しい本を何冊か入れていたし、難しい言葉を使わないと会話をすることができないらしかった。やわらかい長方形の話すことはほとんどなにもわからなかったが、僕は彼女の話を聞くのが好きだった。やわらかい長方形には少々情緒不安定なところがあった。僕はやわらかい長方形のことを深く深く愛していたので、そんなことは些細な問題だった。僕たちはうまくやっていた。うまくやっていた。うまくやっていた。

 

 高二の春、やわらかい長方形がよく僕を怒鳴りつけるようになった。やわらかい長方形が難しい言葉ばかり使って怒るので、正確にはよくわからないのだが、どうやら僕が他の女の子と浮気をしているのではないか、と疑っているらしい。もちろん、そんなことはしていない。していない。していない。

 高二の夏、本棚を整理しているとき、肘でうっかり「あとは任せたぜスイッチ」を押してしまった。なにも起きなかった。

 高二の冬、僕は本当に浮気をしてしまった。それは仕方のないことだった。断る方法を知らなかったのだ。弾力のある三角形はいい子だ。だから、弾力のある三角形を悲しませたくなかった。やわらかい長方形にはすぐにばれてしまった。僕は彼女の家に行き、「ごめんなさい」とちょうど千回言って、帰った。やわらかい長方形は泣いていた。もう、やわらかい長方形を泣かせるようなことをするのはやめよう、と思った。弾力のある三角形はそれ以来、僕と会話をしてくれなくなった。目も合わせてくれない。

 高三の春、僕とやわらかい長方形は、放課後の渡り廊下で大喧嘩をした。たまたま近くにいた友達が仲裁をしてくれて、その場はなんとか収まった。その友達は僕を慰めるためにブラックの缶コーヒーをくれた。コーヒーは嫌いだったが、とてもそんなことを言える状況ではなかった。彼は僕を慰めようとしてくれている。いろいろな言葉を、じっくりと考えて、僕にかけてくれる。僕はそのまずい液体を飲み干すのに必死で、なにも聞いていなかった。彼がいなくなると、すぐトイレに駆け込み、嘔吐した。それまでの人生でいちばんの罪悪感が僕を襲った。でも、仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。仕方のないことじゃないか。

 高三の夏、眠ることができなくなったので、インターネットで調べた情報をもとに、薬局で睡眠導入剤を買った。小さな白い錠剤で、口に含むとほんのり甘い味がした。その薬を「天使」と呼ぶことにした。僕は一週間に五回、「天使」を四錠飲んだ。「天使」は少しのあいだ、僕を救済してくれた。

 高三の秋、精神科でよくわからない肩書きをもらった。僕はそのことを誰にも言わないことにした。「天使」はだんだんと効かなくなってきていた。それでも僕は処方された薬を飲まなかった。それらは「天使」のようには甘くなかったからだ。やわらかい長方形と会う時間も体力もどんどんなくなっていった。やわらかい長方形は、毎日十通はメールをするように、と僕に命じた。僕は毎日六通から八通のメールを送った。もちろん、少なすぎると怒られた。僕にはどうすることもできなかった。メール十通ぶんの文章を考えると、僕の貧弱な頭は確実にパンクしてしまうだろう。

 

 やわらかい長方形は、大学入試にすべて落ちてしまった。たぶん、僕のせいだ。僕がきちがいだから、やわらかい長方形は勉強に集中できなかったんだ。僕は滑り止めで受けた私立大学に入ることになった。「天使」はもう完全に効かなくなっていた。

 大学一年目の冬、やわらかい長方形は受話器の向こうでずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。ずっと叫んでいた。お前が悪いんだ、お前のせいで自分の人生は滅茶苦茶だ、そんなことを言っていたのだと思う。僕は頭が悪いから、難しい言葉ばかり使うやわらかい長方形の言うことがほとんどなにもわからなかった。でも、僕が悪いということだけは、はっきりとわかった。

  僕は「あとは任せたぜスイッチ」を押した。「あとは任せたぜスイッチ」を押すと、僕じゃない僕に、すべてを任せることができる。あとは全部任せたくなったから、「あとは任せたぜスイッチ」を押した。それはすごく自然なことだ。五秒、六秒、七秒、僕は右耳でやわらかい長方形の悲しい叫びを聞きながら、一秒一秒、ていねいに時間を数えた。

 

 四十秒、四十一秒…………一分………………

 

 

 

 

 

 

 五分………………

 

 

 

 八分三十秒…………八分四十秒…………九分……

 

 

 

 九分五十五秒。

 

 ――じゃあ、あとは任せたぜ。僕じゃない僕。君には、どうかここをうまく切り抜けて、しあわせに暮らしていってほしい! ああ、それともうひとつ。これだけは守ってくれ。やわらかい長方形には、絶対に、絶対に悲し

力学系メモ

 時間 {\displaystyle t} に依存しない函数 {\displaystyle f:\mathbb{R}^{n}⊃W→\mathbb{R}^{n}} を用いて微分方程式 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=f(x)} で表される力学系を自励系という。 {\displaystyle x'=f(x,t)} で表される力学系を非自励系という。ここでは自励系について考える。

 {\displaystyle f( \bar{x} )=0} なる点 {\displaystyle \bar{x}} を平衡点という。微分方程式の解の一意性より、平衡点を通る解は定数函数のみである。
 微分写像ヤコビアンを同一視し、同じ記号で表す。 {\displaystyle x} における微分写像{\displaystyle df_x} と書くことにする。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} における微分写像 {\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で平衡点を分類しよう。固有値の実部がすべてノンゼロであるとき、その平衡点は双曲型であるという。固有値の実部がすべてゼロ、すなわち固有値がすべて純虚数のとき、その平衡点は楕円型であるという。さらに、双曲型平衡点を次の3つに分類する。固有値の実部がすべて負のとき沈点、すべて正のとき湧点(源点)、正のものと負のものが混じっているとき鞍点という。
 沈点の近くの解は指数函数的に沈点に近づく。すなわち、{\displaystyle λ<0} をすべての固有値の実部より小さな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≦Me^{tλ}||x-\bar{x}|| }
が成り立つ。 {\displaystyle φ_{t}(x)}力学系の流れである。
 逆に、湧点の近くの解は指数函数的に湧点から遠ざかる。すなわち、{\displaystyle λ>0} をすべての固有値の実部より大きな定数とすると、 {\displaystyle \mathbb{R}^n} の任意のノルムに対してある正数 {\displaystyle M} が存在して、
{\displaystyle || φ_{t}(x)-\bar{x}||≧Me^{tλ}||x-\bar{x}||}
が成り立つ。

 次に、Lyapunovの意味での安定性を定義する。平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、任意の近傍 {\displaystyle N(\bar{x})⊂W} に対し、適当に {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})⊂N(\bar{x})} をとると、そこから出る任意の解 {\displaystyle x(t)}{\displaystyle t≧0} について定義され、{\displaystyle N(\bar{x})} 内に留まることをいう。図で表すと、下のようになる。
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 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が漸近安定であるとは、それが安定であって、{\displaystyle t→\infty }{\displaystyle x(t)→\bar{x}} となるように {\displaystyle \tilde{N}(\bar{x})} がとれることをいう。図で表すと、下のようになる。
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 平衡点 {\displaystyle \bar{x}} が安定であるとは、それが安定でないことを意味する。図で表すと、下のようになる。
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 図で{\displaystyle N(\bar{x})} とすべきところを {\displaystyle N(x)} と書いていることに注意。修正するのめんどくさい。

 明らかに沈点は漸近安定であり、湧点は不安定である。次の不安定性定理より、鞍点は不安定であることがわかる。
(不安定性定理){\displaystyle df_{\bar{x}}}固有値で実部が正のものがあれば不安定。
 従って、双曲型平衡点で安定かつ漸近安定でないものは存在しない。楕円型平衡点には安定かつ漸近安定でないものが存在する。例えば、2次正方行列 {\displaystyle A} で定まる力学系 {\displaystyle \frac{dx}{dt}=Ax} について、{\displaystyle A}固有値が純虚数であるとき原点は楕円型平衡点であり、原点まわりの解は下の図のように流れている。
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 沈点の近くの解に対し、差のノルム {\displaystyle ||x(t)-\bar{x}||} は減少函数として見ることができた。もっと一般的に、Lyapunov函数を構成することで平衡点の安定性を判定することができる。連続函数 {\displaystyle V:N(\bar{x})→\mathbb{R}}{\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}}微分可能であるとする。 {\displaystyle V} が次のふたつを満たすとき、 {\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数という。
{\displaystyle (i)} {\displaystyle V(\bar{x})=0}{\displaystyle x \neq \bar{x}} に対し {\displaystyle V(x)>0}
{\displaystyle (ii)} {\displaystyle N(\bar{x})\setminus \bar{x}} 上で {\displaystyle dV_{x}(f(x))≦0}
 また、 {\displaystyle (ii)} の不等式がイコールを含まないとき、狭義Lyapunov函数という。
 例えば、3次元力学系 {\displaystyle (\frac{dx}{dt},\frac{dy}{dt},\frac{dz}{dt})=(2y(z-2),-x(z-1),xy)} の原点におけるLyapunov函数{\displaystyle V(x,y,z) = x^2 + 4y^2 + 2z^2} で与えられる。ちなみにこの平衡点は安定だが漸近安定ではない。
 Lyapunov函数が構成できれば、次のLyapunovの安定性定理によって平衡点の安定性が判定できる。
Lyapunovの安定性定理){\displaystyle \bar{x}}Lyapunov函数が存在すれば {\displaystyle \bar{x}} は安定。また、狭義Lyapunov函数が存在すれば漸近安定。

『グッバイグーグルアイ』執筆者募集

 2017年9月18日(月・祝)の第五回文学フリマ大阪での頒布を目標に、青本舎(せいほんしゃ)から文芸誌『グッバイグーグルアイ』を発行します。原稿を出したいという方は青本Twitterアカウント(@book_blue_book)までご連絡ください。また、青本舎編集部のメンバーも募集しています。現在(5月28日時点)で文章3、イラスト2、短歌2掲載予定。最終稿は7月中にお願いします。

 

 掲載の決定は完全に編集部の趣味に左右されます。ジャンルは以下のものを想定していますが、これ以外でも良いと思ったものは載せます。

・小説、詩、エッセイ

・漫画、イラスト

・学術論文

・評論

 

青本舎編集長

複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)

催眠商法(SF商法)潜入ルポ

 昨日12時50分、京■大学近くの某シェアハウスに到着。13時、メ■ーマー■潜入部隊が集合した。作戦は15分後、■都大学から歩いて数分のところに2ヵ月限定で店舗を構える「■リー■■ト」にて決行。ここで行われているのはいわゆる「催眠商法」「SF商法」で、要は来場者プレゼントなどの餌によっておびき寄せた老人・主婦らを心理学的な手法で洗脳し、購買意欲が異常に高まった段階で高価な商品を売りつける悪質な手口だ。
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 企業名をググってもあまり多くの情報はヒットしないが、2005年にヤフー知恵袋で被害が報告されているのを確認することができる。2ちゃんねるでもたまに言及されるらしい。労働環境が粗悪、脱税が発覚したなんて噂もある。当日0時過ぎにメリ■■■トツアーのことを知ったが、こんなに面白いオモチャもなかなかないのですぐに同行を決めた。

 受付で米1kgを受け取った。入場にはひとりにつき100円が必要となる。すべてが終わったあとにトイレットペーパー12ロールが支給され、さらに前日も参加していれば、メリ■■ー■を紹介した側とされた側がそれぞれティッシュを5箱ずつもらえる。1時間と少し座っていれば確実に1,000円分以上の物資と話のネタが手に入るのならまあ悪くない。
 特に問題なく入場できたが、100人ほどの老人で溢れかえる会場で20代前半の僕たちはとてつもなく浮いた。開始時間の10分以上前にはすでに席が埋まっていたため、最後列に予備の椅子を用意してもらい、着席した。iPhoneのボイスメモを起動してポケットに忍ばせる。内装を撮影しておきたかったが、誰にも気づかれず写真を撮ることはできそうになかった。ただ白いペンキで塗られただけの無機質な壁、古びたパイプ椅子、トイレットペーパーしか並べられていない前方の長机、店長の頭上に掲げられた不気味な笑顔のロゴマーク。見たところ相手方の勢力は3人で、よく喋るガリガリの店長(新婚)、ぽっちゃり体系アラレちゃん眼鏡の女性店員(さーちゃん22歳)、ぎこちない体育会系男性店員。こちらは8人いるので殴り合いになれば奥にあと数人いたとしても勝てるはずだ。

 予定よりも10分ほど早く店長の弾丸セールストークが始まった。

店長「はい、えー、それでは皆様お待たせいたしました! 改めまして、こんにちはー!」
老人「「「こんにちはー!!!」」」
店長「はい、えー、それではですね、まだお時間前ではございますけどもね、あの、ちょっとですね、人が多いんですごく暑いんですけども」
さーちゃん「そうですねー」
店長「あの、今日の朝、もっとすごかったんですよ!」
さーちゃん「はい」
店長「ねえ、あの、けっこうね、お客さんらですね、お昼空いてるからお昼行こうって方が多かったんですね」
さーちゃん「そうですね」
店長「でもですね、朝から少ないかなーと思ったらめちゃめちゃ多くて! 朝も多くてお昼も多くてですね、こんなに街に人がいるのかなと」
さーちゃん「うんー」
店長「噂らしいんですよ。なんかぞろぞろ人が歩いてるけど、祇園祭今日やったかなーって」

 当然だが、喋りはなかなかうまい。老人たちも数日前から複数回ここに来ているため、統率のとれた反応を返してくれる。コールアンドレスポンスもほぼ完璧だ。前日に同じ場面があったのだろう。まるで打ち合わせでもしたかのように声を揃え、老人たちは店長の望んだ通りの反応を引き出される。うまく合わずとも店長がそれを笑いに変え、失敗したところを何度か練習する。おそらくこの練習も後日生かされることになる。僕が店長のジャブにひるんでいると、間髪入れずに店長とさーちゃんのあっちむいてホイバトルが始まった。会場を左右で店長チームとさーちゃんチームに分け、勝った側が全員きしめん1袋をGETする*1。普通に楽しい。この時点でトーク開始から3分。もう引き込まれそうになっている。「こっそり録音している*2」という緊張がなければもうあちら側に取り込まれていたかもしれない。

店長「笑うと人間は免疫が上がります。みなさん、癌という病気、なりたいですかなりたくないですか? なりたくは?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「なりたくは?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「(さーちゃんを指差して)彼女はお金が?」
老人「「「ない!!!」」」
店長「そうなんですよー!」
老人「「「ワハハハハハハ!!!」」」

店長「残念ながら健康食品バリバリ食べてる人だけが元気で長生きできるんか言うたらそうでは」
老人「「「ない!!!」」」
店長「そうでは」
老人「「「ない!!!」」」
店長「私は骨と皮しか」
老人「「「ない!!!」」」
店長「いやいやいやいやいや!」
老人「「「ワハハハハハハ!!!」」」

 こんな感じのコールアンドレスポンスが頻繁に挿入され、ちゃんとやらないと体育会系男性店員が圧をかけてくる。彼は背が高いうえに笑顔が下手なので本当に怖い。黙ったまま店長の話を聞いていたら結構マジなトーンで「後ろ2人!」と怒られたし、老人にもたまにきつく当たることがある。さーちゃんより年上とのことだが、濱田マリっぽいハキハキとした喋りのさーちゃんと対照的に店長の話への相槌が絶望的に棒読みで、タイミングもガバガバだ。この仕事をこの先も続けるのなら早く改善したほうがいい。

 店長が健康にかんする話について全然エビデンスを出さないことは少し気になっていたが、序盤はトークのスピードにまんまと誤魔化されていた。疑問を持つ隙も与えてくれない。立ち止まって考えていると店長は先へ先へと話題を変えていってしまう。この話は本当に商品と関係があるのだろうか。だが、20分くらい経った頃に店長がとんでもないことを言い出したもんで、僕はようやく正しく状況を認識することができるところまで回復した。

店長「実はですね、そういう放射能が漏れてですね、魚にですね、大きな影響を与えている魚が、あるんですよ。そしてですね、そういうものを食べるからですね、今ですね、若者たちに、病気がすごく多いんですよ。で、それが何か言うたらみなさん、奇形児とか異常児*3って言われてるんですけども、ねえ、あの、異常児の子供が非常に多い! もっと言うとですね、あの、異常児じゃなくてもね、アトピー、アレルギーがなんで多いのかって調べてみたときに、親が食べるものが悪過ぎるんですよ! わかります? だからですね、今はですね、あの、こういうふうに指が一本少ない子供を少指症*4って言います」
さーちゃん「少指症!(かわいい)」
店長「指が一本少ないんですよね、四本しか無いんですよ。逆にですね、指が一本多い子供を多指症って言うんですよ」
さーちゃん「多指症!(かわいい)」
店長「そしてね、可哀想なのがこの前ですね、海外のほうになるんですけれども、赤ちゃん生まれたら鼻が無かった子供が生まれたんです。鼻が無かった」
さーちゃん&老人「「「へー!!!」」」
店長「それがですね、あの、なんや言うたら、無い鼻と書いて、無鼻症と呼ばれます!」
男性店員「無鼻症!(棒読み)」
店長「無鼻症! そしてですね、目が一個しかない子供を、単眼症と言います!」
さーちゃん「単眼症!(かわいい)」
店長「で、単眼症の子供は可哀想にね、目が無いときに、右とか左だけ無いんじゃないんですよ。で、どうなるんですか言うたら目が必ず真ん中に寄るんですね」
老人「「「へー!!!」」」
店長「単眼症って。で、あの、そういう子供が生まれてます。じゃあなんでそういう子供がいま多くなったのか言うたら一番調べてみたら、やっぱり食べ物が悪くなってるんです!」

 店長、お前……よりにもよって理学研究科を置く北部のすぐ近くでやりやがったな……! 僕の頭の中ではなぜか機動戦士ガンダムUCのBGMが流れていた。
 ここで店長は韓国海苔12パックセットの紹介をしたかったようだが、放射能の話は全く必要なかった。「奇形児」「異常児」などの衝撃的なワードで無駄に老人の不安を煽り、なんかよくわからんがとりあえず海苔を買えば安心だというふうにミスリードしたように見えた。

 その後も店長は会場内の学生の目も気にせず根拠の不明瞭な話を続け、さーちゃんはキュートで、体育会系男性店員は棒読みだった。男性店員の発する圧で1時間の洗脳トークは異常に長く感じられた。今日販売された商品はほぼ常識的な価格設定だったが、2ヵ月かけてこの老人たちは徐々に高い商品を買わされるようになっていくことだろう。なんと今だけ12,900円分の青汁を購入するだけで会員登録できるだなんて謳っていたが、もはや誰もおかしいと感じていない様子だった。
 14時半ごろにようやく店長のトークと商品の販売が終了し、僕たちはトイレットペーパーとティッシュを受け取った。人数が人数だけに、なかなかの収穫だ。

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 帰り際に潜入部隊のメンバー数人が店長と少し会話した。店長は傍目から見ると来場者プレゼント乞食の僕たちにも優しく対応してくれた。根はいい人なのかもしれない。店長、あんたとはもっと別の出会い方をしたかったよ。そしたら、友達になれたかもしれないな。

 ――ある程度の覚悟はしていたが、やはり催眠商法は恐ろしい。年老いた自分がもしひとりだけでこういった場に足を運んでしまったら、正直なところ催眠商法に絶対引っ掛からないとは言えない。今回潜入した8人は、心理学とか社会学とか、何かしらそういう武器を持って臨んでいる。それでも何人かは「引き込まれそうになった」と感じた。彼らの手口は相当洗練されている。僕の無防備な家族があの場にひとりでいたらどうなっていただろう。そう考えると、メ■ーマ■■をただネタ的・アトラクション的に消費しているだけではいけないのではないだろうか。この店長よりも強引な、もしくは■リー■■トよりも強引な手を使う者もいるはずだ。自分、そして家族の身を悪徳商法から守るため、僕たちはどうすれば良いのか。彼らの手口をもっとよく知っておく必要がありそうだ。

*1:さーちゃんが勝利した。

*2:https://www.youtube.com/watch?v=kbsr2qRxPMM

*3:放射線医学県民健康管理センターの調査結果(http://fukushima-mimamori.jp/outline/report/media/report_h26.pdf)によって否定されていることは調べればすぐにわかる。

*4:欠指症のことか?